2007/6/6
7 アイリッシュ・ナショナリズム
アイルランドにおいて、ナショナリズムとか「国家」とか言われるようになるのは近年になってからに過ぎない。アイルランドでは、民族としての感覚は強いが、国家についての感覚は弱かった、といわれる。
それは、アイルランドが、長い間中央集権的な強力な国家を持つことができなかったために、地方分権的なコミュニティ単位の帰属意識が強く残っているのかも知れない。アイルランドでは、国家といえば常に英国のことであり、支配者のことであったため、アイルランド人がアイデンティティを持ち得るのは、自分が生まれた土地であり教会区であった、ともいえる。
しかしながら、アイルランド人が国家に対する意識が希薄なのは、ゲール人以来のアイルランドの伝統かもしれない。ゲール人社会は、農耕社会で家父長制大家族を単位とした氏族共同体が緩やかに集合し、4つの地方(レンスター、マンスター、コノート、アルスター)ごとに部族国家を形成していた。
強力な政治的な中心、国家は存在せず、部族間で、同盟関係を結んでは強敵を倒すという形態が繰り返され、常に外国の侵略軍と呼応して、国内の強敵を倒そうとする存在があった。このため、外国軍はやすやすと侵入し、異民族による800年に渡る支配を許すこととなった。
英国に併合された19世紀以降においてさえ、自治と独立のどちらを目指すべきなのか常に揺れ動いていた。アイリッシュ・ナショナリズムは、その伝統的な地域割拠制のため、統一性を欠き、一枚岩になることはできなかった。
このアイルランドに文化的統一をもたらし、同一民族としての意識を育んだのが、土着宗教ドルイド教であり、キリスト教(カトリック)であった。聖パトリックは、ゲール人の土着宗教と融和しながらキリスト教への改宗を進めた、つまり、ケルト文化を残したままキリスト教化したのである。このため、ゲール人の氏族共同体と結びついた教会区が設定された。その後、古代ゲール人の氏族共同体社会は崩壊したが、教会区は、コミュニティとしてこんにちまで受け継がれている。
ところが、アイルランドに、同一民族としての意識をもたらしたカトリックは、アイルランド北部(アルスター地方)にプロテスタント社会が形成されると宗教対立と地域対立の火種となった。このため、アイルランドでは、「文化」がナショナリズム形成に大きな影響を果たすことになった。
しかし、最大の文化ナショナリズムの復権ともいえるアイルランド(ゲール)語の復活は、現実には困難なものであった。現代においても、自国語の保存に対する強い支持や教育制度の充実にもかかわらず、アイルランド語は「学校の科目」のひとつに過ぎず、日常言語としての話されている地域と使用率は減少傾向にある。
このアイルランド語の復活を目指した文芸復興運動が、中産階級に基盤をおいていたのに対し、伝統的娯楽の復活という非言語で情動的なGAAの運動は、下層の人々を含めた広範な階級の人々の支持を受けることができた。GAAは、大衆レベルにおいて「文化」を緩やかに統合することによって、政治的独立や文学の世界では成し遂げられないアイリッシュ・ナショナリズムの統一を遂行できたといえる。
参考文献 アイルランドにおけるスポーツ−ゲーリック・アスレティック・アソシエーションを例に−坂なつこ
「図説 アイルランドの歴史」リチャード・キレーン著 鈴木良平訳 彩流社
「概説イギリス史」青山吉信・今井宏編 有斐閣選書
「500年前のラグビーから学ぶ」杉谷健一郎著 文芸社
参考サイト
http://www.globe.co.jp/information/history/history-3.html#hi10

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