オレンジ色とは・・・
オラニエ公のオラニエ(英語でオレンジ、仏語でオランジェ)は、果物のオレンジとは関係がありませんが、オレンジ色とは関係があります(ただし、オレンジの色とは関係はなく、単なる偶然とされています)。そもそもオレンジ色は、オラニエ=ナッサウ家のシンボルカラーで、オラニエ=ナッサウ家が、ライオンの絵が入ったオレンジ色の礼服を使った事から、オランダのナショナル・カラーになり、オランダのサッカー・ナショナル・チームのユニホームはオレンジ色でオレンジ軍団といわれています。
また、オランダは、中世自由都市の伝統を受け継いだ世界初の共和国で、そのオランダの代名詞ともいえるオレンジを国名にしたのが、19世紀オランダ移民の子孫(ボーア人)が南アフリカの内陸に建国した共和国「オレンジ自由国」だったわけです。なお、オランダ語では果物のオレンジは sinaasappel といいます。
オレンジ色の国旗の話
オラニエ公の家紋は、「青地にオレンジの房紐で飾られた白い角笛」で、オラニエ公ウィレム1世がスペインのフェリペ2世に対し蜂起した際に使用したのがこの家紋に由来するオレンジ・白・薄青の横縞の三色旗でした。この旗はプリンスの旗と呼ばれ、オランダ独立戦争にも使用され、オランダ国旗として定着していきます。16世紀末までは三色の順序も本数も決まっていませんでしたが、徐々に統一されていきました。1630年以降はオレンジが赤(薄青も濃い青に)に置き換えられますが、その理由はオレンジと青は、特に海上で色あせやすいから、もしくは、オレンジは薄いため海上で識別しにくいためとも言われています。ただし、オレンジ色の旗はその後も使用され、1937年にヴィルヘルミナ女王により、赤・白・青の三色旗が正式に国旗と制定されました。
三色旗といえば、フランスの同じ配色の縦縞の三色旗が有名ですが、全ての三色旗の手本となったのが、このオランダの三色旗でした。この三色旗も、ナポレオン戦争のフランス占領下では、あまりにもフランス国旗に似ているということで、使用が禁止されていました。
ところで、オレンジ自由国の旗は、このオランダ三色旗にオレンジの三本縞です。また、南アフリカが1910年南アフリカ連邦として、英国の自治領として独立したときの国旗は、英国とオランダ系(ボーア人、アフリカーナー)との融和を図ったデザインとしてオレンジ・白・青の横縞のオランダ国旗の中央に、英国・トランスヴァール共和国・オレンジ自由国の国旗の3つを小さく並べたものでした。この旗は1994年に現在の旗に変更されています。
アイルランドのオレンジ
また、国旗のなかでオランダ国旗と同じくオラニエ=ナッサウ家のオレンジ色に由来するのがアイルランド共和国の緑・白・オレンジの三色旗(縦縞)です。緑はカトリックを意味し、オレンジはプロテスタント、白は両者の調和と協調を表す色とされています。
名誉誉革命で、カトリック保護派のジェームズ2世が、フランスに追放されると、オランダ総督オラニエ公ウィレム3世がウィリアム3世として即位すると、アイルランドのカトリックはジェームズ2世を支援し、イングランド王位に復位させようと試みました。
1690年ボイン川の戦いで、ウイリアム3世の率いる英国・オランダ連合軍が、ジェームス2世のアイルランド・フランス連合軍を破り、以後、アイルランドのプロテスタント支配が強化され、特にアルスターのプロテスタント系住民は英国から特権を与えられ、北アイルランドの経済を発展していきます。このため、オレンジ公ウィリアムのオレンジがプロテスタントを象徴する色となりました。

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