2007/2/4
ヤンキー、中国に行く
MLBのスモール代表が「メジャーリーガーの北京オリンピックへの参加は難しい」と北京で話した同じ日(1月30日)の同じ北京で、ヤンキースのランディ・レビン(レイバン)社長と中国野球協会(CBA)の胡建国主席は、協力関係を締結することで合意し、覚書に調印した。CBLも、2003年にMLBと提携関係を結んでいるが、単独チームとは初めての提携となる。中国市場への進出を企図するヤンキースと、北京オリンピックに向けて競技力の向上を目指す中国側の思惑が一致した。
レビン社長は北京での共同記者会見で「中国の市場には非常に大きな潜在力がある。選手の潜在力にも期待している」と述べたが、中国選手を対象とした野球アカデミーの設立するなど、「野球先進国の日本とは異なるタイプの連携」(ヤンキース関係者)を目指すとしている。一方、中国側の胡主席は「世界とのレベルの差をできるだけ早く縮めたい」と抱負を語った。
訪中していたヤンキースのレビン社長とキャッシュマンGMは、その足で来日、2月1日提携関係にある読売ジャイアンツを訪問、2日・3日は阪神タイガースのキャンプ地を訪れたが、ヤンキースのアジア訪問の狙いは、アカデミーの設立を目指して6カ月以上も交渉してきたCBAとの提携にあるという。
「日本とは異なるタイプの連携」とは、プロバスケットボールのNBAで活躍する中国選手、姚明(26)=ロケッツ=のような野球選手を発掘することだという。具体的には、コーチやスカウト、トレーナーなどを派遣して選手育成を図る一方、キャンプ地のフロリダ州タンパに中国の選手やコーチを受け入れる。
中国では姚明がアジアから初の一流選手となったことでNBA人気が急上昇。市場拡大に成功した。ヤンキースも30球団最初の「野球アカデミー」を設立することで有能な選手を集め、中国での知名度も高めたい考え。「中南米の国々と同じ。どの球団にも接触のチャンスがあるなら、少しでも先に進めたいだけだ」と、キャッシュマンGMも中国出身選手の獲得を否定しなかった。全世界にスカウト網と市場を拡大するヤンキースに中国の選手が入団するのは、それほど先の話ではないかもしれない。
以上は、ヤンキースと中国の提携記事をネット検索でまとめたものです。出典は主に、
http://www.sanspo.com/mlb/top/mt200701/mt2007012700.html
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2007/01/31/10.html
http://www.sankei.co.jp/sports/baseball/070131/bbl070131001.htm
なお、読売ジャイアンツ訪問は上原投手、阪神タイガース訪問は藤川投手の獲得にあるという話もでていいました。
日本、台湾だけでなく中国への進出を目論むヤンキースだが、なんと、ヤンキースの前売り入場券が空前の売れ行きを上げていることが2日(日本時間3日)、明らかになった。
米大リーグ、ヤンキースの前売り入場券が、発売3日目の2日で300万枚を超えたと、公式ホームページ(HP)が伝えた。昨年は3月2日に300万枚に達したそうで、トロスト最高執行責任者(COO)は「昨年より1カ月も早いなんて驚きだ」と話している。 一方、ライバルのレッドソックスも1月末の時点で前売りが227万枚を超えた。本拠地のフェンウェイ・パークは、7年連続で入場者記録を更新中で、昨年は約293万人が入った。(2007/02/03 サンケイ新聞)
http://www.sankei.co.jp/sports/baseball/070203/bbl070203001.htm
MLBが市場拡大へアフリカ進出(2007年02月03日スポニチ紙面記事)
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2007/02/03/12.html
世界にマーケットを広げている大リーグが今度はアフリカ進出に乗り出す。メッツのミナヤGM、元カブスのベーカー監督らの一行が1日、野球普及のためにガーナに出発。現地では4日間滞在し、野球用具などを寄贈する。ガーナ訪問のきっかけとなったのは、昨年6月のサッカーW杯。米国を2−1で下した試合を見た同GMは「驚くべき身体能力。野球ができないはずがない」と、将来の“メジャーリーガー供給国”として高い興味を示した。

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2007/1/28
最新台湾野球事情
韓国に続いて、台湾の野球事情を同じく朝日新聞の特集からみてみよう。親日的といわれる台湾だが・・・
「以球会友 アジアベースボール事情B」(2007年1月16日 朝日新聞夕刊)
日米に流出、兵役も要因
「3千ドルから!」のかけ声でオークションは始まった。昨年11月、台北市の福林小学校の運動会のイベント。今年から福岡ソフトバンクホークスでプレーする李秉諺(18)=プロ登録名は杜軒=のサイン入りバットは結局、6500台湾j(約2万4千円)で落札された。
出席した李選手と米マイナーリーグの林彦峰選手(21)は同小学校のOBだ。2人のサインボールは1個200台湾j。同小チームの活動資金となる収益金はこの日、3万4千台湾ドル(約12万5千円)にのばった。「プロの先輩は袴りです」と話す6年の荘英可君(12)は、日本でプレーするのが夢。「ソフトバンクの王貞治監督も知っている」という。
福林小時代、台湾最強を誇った同小チームで活躍した李選手は現在、岡山県共生高校3年。父の李杜宏さん(47)は台湾プロ野球の元選手で今は2軍監督。「日本語も学びながら野球を」との父の勧めで日本に渡った。
同校の野球部では、森下雄一監督(43)が「呼び込んで右に流しても長打になる」とたたえるセンスで、練習試合も含めて通算53本塁打を量産。チームは秋の県大会ベスト8が最高だったが、昨年の高校生ドラフトでソフトバンクから4巡目に指名された。王監督同席の入団会見では、日本語で「4番を打ちたい」と意気込んだ。
台湾では若い人材の海外流出が相次ぐ。昨秋には中学を卒業したばかりの林?豪投手(16)が読売巨人軍へ。188aで、140`台後半の速球が魅力だ。米大リーグも獲得に動いたが、林選手は「巨人が約束した良い環境を選んだ」。巨人は日本の高校の通信教育など、手厚い集件を示していた。
日米のスカウトは人材発掘を競い合う。昨年11月、台中市で8カ国・地域が参加したインターコンチネンタルカップ。台湾対キューバ戦のバックネット裏には球速測定器を持つ姿が目立った。始球式には米大リーグ・ヤンキースの王建民投手(26)が登場した。台湾の大学を中退してマイナー契約で渡米し、昨年19勝でスター選手にのし上がった英雄だ。球場全体が騒然となった。
だが、歓迎の声ばかりではない。台湾代表チームの監督を務めた林華韋・台湾体育学院教授(48)は「人材流出は台湾野球に影響を及ばす」と心配顔だ。野球は台湾が世界に誇れる数少ない競技だ。90年発足のプロ野球は、詐欺事件に発展した96年の八百長事件や97年のリーグ分裂を経験。03年に6球団の1リーグになり、ようやく低迷から脱しようとしている。
それだけに、大リーグヘの一流選手流出が続く日本球界以上に、日米両国から選手獲得の手が伸びる台湾球界の空洞化は深刻だ。今オフも、昨春のワールド・ベースボール・クラシック台湾代表の林恩宇投手(25)を東北楽天ゴールデンイーグルスが獲得した。
中華プロ野球連盟の李文彬事務局長は「選手の給料が、せいぜい庶民の6、7倍だから」と背景を指摘する。成人男子に1年数カ月義務づけられる兵役も大きな要因。兵役前には台湾でプロ入りできないからだ。国際大会で活躍すると兵役期間が大幅に短縮される特例もあり、海外に出て機会を狙う傾向が強まる。
留学先の福岡第一高校から北港道日本ハムファイターズに入団した陽仲寿選手(19)は、昨年のアジア大会で優勝した台湾代表チームの一員で、兵役短縮の見込み。ソフトバンクの李選手はいったん台湾に戻ると兵役後でないと出られないため、当面は帰らない。「陽選手のように代表入りしたい。父からもそう激励された」
李事務局長によれは、破格の安い金額のマイナー契約で涯米し、実績もないまま戻ってくる選手も少なくない。「そんな選手でも、台湾でなら一線で活躍できるのに」。兵役前でもプロ入りできるよう当局に申し入れているというが、模索は続きそうだ。(飯竹恒一)

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2007/1/27
最新韓国野球事情
北京オリンピック日本代表監督に星野仙一・阪神SDの就任が正式に決定したが、ライバルとなるのが韓国と台湾。690,691で、韓国野球は日本仕込みと紹介したが、近年、この韓国野球は、脱日本の動きにある。以下は、朝日新聞のアジアベースボール事情から。
「以球会友 アジアベースボール事情C」(2007年1月17日 朝日新聞夕刊)
「野球の法律は日本からの丸写しでなく、『正しい言葉』でなけれはいけない」韓国野球委員会(KBO)の許亀淵・野球用語委員会委員長は、3月に予定する用語委会議室別に気を引き締める。KBOは韓国プロ野球の統括団体。野球伝来100周年の記念事業の柱として、05年10月から、日本語からの直訳が多い野球規則を改定する作業を進めている。
野球解説者やアナウンサーら8人の委員が10回以上重ねた会議は、時に5時間を超えた。適当でない訳語をチェックし、別の表現を考える。「防御率」は「平均自責」に、「遠征試合」は「訪問試合」に−。 「日本でしか通用しない用語が、韓国でも使われるのは不適切だ」
野球が朝鮮半島に伝わったのは1905年。米国人宣教師の手によってだった。ただ、実際に広めたのは日本人だ。「韓国野球史」には「日本人が集団で住む地域で野球は盛んだった。韓国人はその模様を見よう見まねで覚えた」とある。
82年に韓国プロ野球が発足したときも、野球規則は日本の言葉をコピーした。「フォアボール」や「犠牲バント」は、韓国語でも発音、意味ともほば同じ。日本のプロで活躍した選手たちが海峡を越え、「野球先進国」の技術や戦術を伝えた。阪神タイガースを退団後、83年に韓国のへテ・タイガース(現・起亜タイガース)に進んだ宇田東植さんは、韓国語ができなかったが、野球は日本語でかなり用が足りた。「日本で野球を学んだ指導者も多かったからではないか」と言う。
82年は、日本の高校歴史教科書の検定をめぐって、日本軍の「侵略」が「『進出』に書き換えれた」との報道をきっかけに、中国や韓国が反発する問題が起きた年でもある。野球解説者としての道を歩み始めた許さんはこのニュースを聞き、投手だった学生時代の米
国遠征で、「和製英語」の野球用語がまったく通じず、ショックを受けたことを思い出した。
「言葉は何より重要。韓国が発祥のテコンドーは、韓国語の用語がそのまま世界で使われている。だから、野球も本場の英語を基にすべきだ」解説ではできるだけ、英語からの用語をそのまま使うよう心がけた。当初は理解されず、「今のヒット・パイ・ピッチは…」と言うと、アナウンサーが「はい、死球(サグ)ですね」と言葉をつなげる場面が多かった。新聞では「定着している言葉を、なぜわざわざ分かりづらくするのか」と批判された。
しかし、韓国選手が米大リーグで活躍し始めた90年代後半になると、周囲が変わり始める。テレビなどで米国の情報が多く入り、「本場の野球」に触れる機会が多くなったためだ。ソウルが本拠のLGツインズを咋季途中から監督として率いた梁承虎さんも、日本式の用語を使わなくなった一人。「大リーグに親しんだ若い選手の反応がよかった」と話す。
韓国球界には、旧来の用語になじんでいるとの理由で、改定に反対する意見もある。しかしKBOの鄭今祚・広報部シニアマネジャーは「日本から離れ、韓国の野球を確立したい。野球をさらに根付かせるためには、適切な言葉が必要だ」と説明する。改定作業は「1次段階」と位置づけた昨年2月までで「方向性が固まった」という。今春からは細部を見直し、11月にも発表する予定になっている。
「ベースボール」を日本語に訳した「野球」という単語は、韓国でもそのまま「野球(ヤグ)」として使われてきた。用語委員会は、この言葉そのものも変えるのだろうか。許さんは言う。「『野球』という言葉は長年使われており、急に変えると混乱すると個人的には思う。ただ、議論を提起するのは国語学者の先生方だ」。どこまで自国流にこだわるか。「脱日本」への取り組みは続く。(阿久津篤史)

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2007/1/25
韓国野球の源流(新聞書評)
「韓国野球の源流 玄界灘のフィールド・オブ・ドリームス」(大島裕史著 2006年10月30日初版 新幹社)」については、朝日新聞の書評を紹介する。
■ 韓国野球の源流 大島裕史著 (朝日新聞書評 野村進(ジャーナリスト))
「日本仕込み」から大成長、新時代へ
日本のプロ野球には、今後破る者が出ないのではないかと言われる記録がある。たとえは大投手・金田正一の400勝、たとえばル安打製造機〜張本勲の3000本安打。二人のルーツは朝鮮半島で、ともに異邦人の親を持つ者が打ち立てた大記録なのだ。
日本チームが世界一に輝いたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は記憶に新しいが、イチローが感情を剥き出しにするはど日本を窮地に追い込んだのは韓国チームであった。そこまでのレベルに達した韓国の野球史と、戦前からの日本との関わりを軸に描いた本書は、いま書き残しておかねば歴史の闇に消えてしまうにちがいない、貴重な証言に満ちている。
振り返れは、三つの時代があった。戦前、日本で野球を学んだ金永祥(キムヨンジョ)らが、朝鮮半島に野球を根づかせた1940年代と50年代から、在日コリアンが実業団野球を盛り上げた60年代を経て、ついにプロ野球が誕生した80年代へと至る流れである。そこに、むろん多難な歴史が絡む。ある在日の選手は、”帰国運動”で両親が北朝鮮に渡ったため、韓国の公安から凄まじい拷問を受け、日本に戻ったあと酒浸りになって早世してしまう。「韓国でも外人、日本でも外人」の彼らが、それでも野球を続けたい一心で懸命に生き抜いてゆく姿を、著者は淡々と描出する。その安易な感傷を排した文体が潔い。
意外なことに、日米よりも「代表チームを築いてきた歴史は韓国のほうが断然長いと著者は記す。代表監督になった金永祥は、チームを悲願のアジア選手権優勝に導くが、病に倒れ、五十八歳の若さで帰らぬ人となる。その土饅頭に、東京の帝京商業(当時)で一年後輩の、フォークボールで一世を風靡した杉下茂が手を合わせ、戦前からの友情を懐かしむ揚面は感動的だ。
WBCの韓国チームは、在日が育てた監督やコーチが率い、日本で首位打者になった白仁天(ペクインチョン)によって素質を開花させられた巨人のイスンヨプらを主力として勝ち進んだチームであった。アジアの野球が新しい時代に入ったことを、この労作は静かに告げている

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2007/1/24
韓国野球 WBCの真実
「対談 硬論軟論 21世紀の新野球」は、元中日でNPO法人「谷沢野球コミュニティ千葉(YBC)」理事長の谷沢健一氏とベースボールマガジン社社長・池田哲雄氏との対談集。
話を脱線すると、YBCの役員の中にあの小林至くんがいる。また、池田哲雄氏は、北信越BCリーグの運営会社「株式会社ジャパン・ベースボール・マーケティング」の取締役でもある。そして、前号で復刻した「二人のアイク」のひとり・池田郁雄氏の弟である。
その「硬論軟論」から、WBC(ワールドベースボールクラシック)における日韓戦の盛り上がりを受けて「第2章 野球を世界に普及させよう」から
谷沢 韓国も、野球はバスケットかサッカーの次ぐらい、第三位くらいに認知されている。残念だけど、反日感情が強い。日本の学校の留学している韓国人の女子学生が「1万円札は好きだが、福沢諭吉は嫌いだ」と言う。それを払拭するためにも、文化的な活動は絶対必要だ。
池田 1万円札に対する価値観を持っていても、福沢諭吉に対するマイナスイメージはものもの凄くある。1万円札が豊臣秀吉だったらもっとひどいことになるだろう。そういうことを細かく見ている日本人ってあまりいない。(略)
谷沢 韓国の学生に、福沢諭吉の「脱亜論」の話をしたら、議論になりやすい。なったら、彼らは一歩も引かない。「日本は欧米ばかり見やがっって」なんてね。
池田 伊藤博文にしても、福沢諭吉と同様に否定的に言われるかもしれない。
谷沢 融和というのは、1年や2年でおいそれと短期的に解決するわけにいかない。
池田 難しいですよね。アメリカ人と日本人は「野球は世界の合い言葉」と簡単に言いすぎる。
※「脱亜論」=「時事新報」(1885年3月16日付)に掲載された社説で、福沢諭吉が記した。この社説の評価は定まっていないが、「脱亜入欧」(亜細亜を抜け出して西欧の仲間入りをする)という中国・朝鮮への蔑視が露骨であると非難する人々も少なくない。確かに「(中国と朝鮮には)実際は心理・法則の知識がないばかりか、道徳までもまったく無くて残酷破廉恥であり、おごりたかぶって反省がないようだ。」という一節(原文は文語)もある。
韓国の反日感情は、一朝一夕ではなくならない、ということだが、同じスポーツでもサッカーと野球とでは、日韓関係は異なるという話をWBCのとき聞いた。この野球における日韓関係については、「韓国野球の源流 玄界灘のフィールド・オブ・ドリームス」(大島裕史著 2006年10月30日初版 新幹社)」が詳しい。「韓国野球の源流」序章 101年目の快挙 P11から
どの時代でも、そしてどのスポーツでも、日韓戦、あるいは日朝戦は、プライドをかけた激しい戦いが繰り広げられる。特に武力によって押さえつけられていた植民地時代、朝鮮の人たちにとって、公平なルールの下で正面から戦うことのできるスポーツの存在は重要であった。ただし、その戦いの持つ意味は、競技種目によって違いがあった。
今日と違い、日本ではマイナースポーツであったけれども、朝鮮半島では早くから「民族のスポーツ」と言われるほどさかんであったサッカーの場合、朝鮮人だけで構成されたチームは、日本の全国大会に出場しても、圧倒的な強さを誇っていた。
日本の植民地支配に伴い、朝鮮で暮らす日本人は、1910年末に約17万人、20年に約35万人、30年に約53万人と増加していった。そうした日本人は、サッカーでは現地の朝鮮人にまったく歯が立たなかった。しかし日本では、「国技」と呼べるほど普及していた野球は違った。したがって、朝鮮の野球人にとっては、在朝鮮日本人を倒すことが、最大の目標であった。ある意味、サッカー以上に身近なところで、日本と朝鮮の決戦が繰り広げられていたことになる。
つまり、サッカーと異なり、韓国の野球は、日本仕込みとして発展してきた経緯があり、韓国の野球関係者にとって、WBCの対日2勝1敗という戦績は、反日ではなく、野球の先進国に追いつき追い越したという意識が強いのだという。
二次リーグで韓国が日本に勝利し準決勝進出を決めたとき、マウンドに国旗を突き刺す行為があったが、あれは、日本に勝ったナショナリズムの象徴として国旗を刺したのではなく、日本に勝って兵役を免除され、兵役を課していた国家に勝ったことを象徴しているんだという。韓国の野球選手には、2年間の兵営義務という問題があって、韓国政府がWBC準決勝に進出した韓国チーム全員に対し、2年間の兵役を免除するとしていた。

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