震災の朝のこと、糸魚川に宿を取り損ねたボヘミやん
上越市のビジネスホテルでチェックアウトのリミットギリギリまで
のんびりと過ごしておりました。今日の行き先は決めてないけど
とりあえずは少なくとも新潟までは日本海を眺めながらの
ドライブを楽しむつもりでした。
それは宿を出て間もなくの、8号線に出る手前の交差点でのこと。
青信号に変わり発進したジム君、突然腰砕けになりました。
パンク?いや足回りが突然逝ったのか?そんなこともあるのかと
ジム君の故障とばかり思って真っ青になりました(笑)
すぐにショッピングセンターの駐車場に滑り込み
ジム君から降りて初めて、地震だと気付きました。
私は帯広で釧路沖の地震を体験していますが
あの時は力づくで思い切りシャッフルされているような激震。
しかし、この地震は船の上で大きなうねりに揺られているような
初めて体験する長い長い横揺れが続いていました。
ラジオを点けると、まだ震源地も被害も分からない状況。
周りに被害も無いので、予定通り8号線北上を始めました。
やがてラジオは柏崎の震度6強、私がいた上越は6弱と報道。
マグニチュードが大きくても条件によっては
被害が少ないこともあるけれど、震度は被害の大きさに直結する数字。
このまま柏崎に向かっていいものか?・・・
「これはヤバいのではないか?」
朝アップした画像は最初に現れた亀裂。間もなく渋滞が始まり
小さな壁の剥離が見られるトンネルを抜けた時
三つ目の亀裂が現れました。↓
そして、その先の電光掲示板には↓
この時点で私は柏崎通過を断念。
迂回路があったにしても大渋滞に巻き込まれるのは必至でした。
まだ北陸道の状況は報道されていなかったので
とりあえず上越に戻り、そこから北陸道で被災地脱出を考えました。
ところが北陸道入り口には「糸魚川〜長岡間通行止め」の文字が・・
これを見て入り口をスルー。仕方なく、少し逆行することになるが
能生の道の駅で情報を得ようと、そのまま南下。
すると今度は崖崩れで迂回路に誘導され
また長い渋滞の列の中に放り込まれることとなりました(T.T)
このまま道の駅の先に出てしまう懸念は杞憂に終わったものの
ドえらい混雑だし情報源が小さな「街頭テレビ」(笑)くらいしかなく
途方にくれておりますと(爆)この頃から安否を気遣うメールや着信を
相次いで戴きその対応に追われることとなりました。
北陸道通行止めから暫く経ったので、どうなったものか
電話をくれた友人が調べてくれましたが「未だ開通せず」とのこと。
上越から出られるのか・・・?
私は、自身が二度と通りたくない道ナンバー1に置く
只見越えを考え始めていました。
再び迂回路の渋滞に飛び込んで上越に戻り、そこから山に入りました。
そして、ここでも誤算が起こりました。
またまた長い渋滞です。山の方の被害は少ないと聞いていたが?
しかし、それは災害によるものではなく長〜いトンネル内の工事で
片側交互通行になっている所為でした。
この渋滞が一番長く、抜けた頃には日が暮れていました。
燃料補給し道の駅で簡単な食事を摂り、暫し休憩。
ここから小出に向かい、そこからは本格的な山越えです。
霧が充満して見通しが利かないトンネルを幾つも抜け
磐越道に乗ったのは午前0時少し前でした。
ここで仮眠を取るつもりでしたが眠くならず!
長距離モードのスイッチが入っちゃって、少し長い休憩は取ったけど
結局一睡もしないまま、気仙沼まで走り切ってしまいました。
震度6弱(私のいた場所は5強程度と思うけど)に遭遇とは
得難い体験でした。震災に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。
皆様にはご心配をお掛けし安否を気遣って頂いたこと
改めてお詫びとお礼申し上げますm(_"_)m