(神無月壱拾六日 望) 格差と貧困  

昨日までの給付金問題で、行政も報道も共通して混乱しているように思えるのは「格差」と「貧困」についてだ。

格差はあって当然かつ健全な現象だ。「格差なし」を実現したとする北朝鮮やキューバやルワンダなどを見れば、その狂気ぶりは明らかである。

格差の是認は、個人の切磋琢磨や自由を認めるということである。貧困(自立的生活の見通しが立たない状態=途上国では明日の生活維持、先進諸国では来月の生活維持くらいに理解したほうがいい)とは全然違う。格差とは異なり、いつの時代にも、そしてどの国でも、貧困は憎むべき現象である。

そのことを前提にして、「給付金」についての結論を出しておこう。定額給付金に2兆円をバラまく案を撤回し、せめてその半額を生活保護予算にまわせばいいのである。もう一度言っておくが、選挙公約も行政の実態も、バラマキの行方をめぐる問題であるということである。

ちなみに、現状では生活保護費は総額2兆円程度でしかない。その同額が、たいした「救い」も期待できない「全員に1万2,000円(子どもと老人に+8,000円)」に化けようとしているのである。貧困1世帯あたりの効果は、「全員に1万2,000円」効果があるはずである。貧困救済は、景気対策でもある。

生活保護予算の引き上げを論じると、ズルをする人たちが出てくるという意見が必ず出てくるが、そんなものは仕方ない。どんな制度下でもズルをする人は必ず出てきます。ズルをして生活保護費を余分にもらう程度のことは、貧困対策上やむをえないことである。行政の最大の任務は、国民に最低限の生活を保障することだ。
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