(弥生廿壱日 宵月) 経済予測  経済

久しぶりに本屋に立ち寄る。いつもはアマゾンで必要な本ばかり探しているが、現実に自分の目で見るというのはネットの世界とは随分違うものである。やはりたまにはこうして現実の世界の本屋に行かないとわからないことも多い。しかし、世の中100年に一度の不況とかで、平積みにはグローバル資本主義の崩壊とかセンセーショナルな題目が目立つ。いつも思うが私の思慮のなさは置いておいて、経済学者の予測ほどあてにならないものはないというのが世間の常識とも言える。ついちょっと前まで小泉流の改革を万能扱いしていた学者が180度意見を変えても、世間はそんなにショックではないようだ。本人は清水の舞台から飛び降りるような覚悟で書いたのだろうが、世間は一部のオタクを除いて余り関心はないようだ。

言い換えれば、現代の経済学は素人が理解するには難しすぎるということではないか。しかし人々は矛盾するようだが不信感を持ちながらも、TVや雑誌の経済学者の頻度の高い登場を見ればこの学問に頼っているようにも見える。誰が首相になっても経済学者をブレーンに置くこと自体、政治も頼りにしているのだろう。

そもそも一般の人が経済学者に不信感を抱くきっかけは、為替の動向などに関する学者の意見に従っていると損ばかりしたということも多いだろう。しかし、学者の言うことなど信用してはいけませんと、実際に金を張って勝負している専門家の自分達為替ディーラーの言い分を鵜呑みにして損をする場合もある。さらには学者やディーラーの言うことより確実な情報があります、などと怪しげな証券マンに捉まってしまう場合さえあるのだ。

そもそも経済学者というのは揃いも揃って、弁舌爽やかな方が多い。強力な根拠を挙げ、よどみなく理路整然と説明されれば、それ以外考えられないという催眠に入ってしまうことさえしばしばある。しかし例えば、「円高だから株価が下がった」という説明するかと思えば、「円高だから株価が上がった」とも説明するケースなどざらであり、円高がどうなるかは「米国の雇用統計次第だ」と言うかと思えば、「雇用統計は既に織り込み済みだ」と言われれば、素人は右往左往するばかりだ。

奇妙なのはこの専門家の予想が外れても、誰一人損害賠償を求めないことである。もし医学や物理学、工学の専門家が予測を外せば責任を取られるだろうが、経済学者で訴訟を起こされた話は聞いたことがない。予測は経済学の主要な仕事ではないかもしれないが、普通、理論の正しさは予測が当たるかどうかによって決められものである。でも信用を失ったという学者をあまり聞かないのだから、経済学者というのは案外気が楽かもしれない存在なのかもしれない。
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