(霜月廿日 大晦日) 入院11日目  

朝目覚めると外は雪。大晦日に雪なんて何年ぶりだろうか。暖冬といっていたのに年末のこの寒さ、自然はどこかで調節しているということかな。今日は本格的に?外出。近くのジャスコ宇品店まで行って着替えを購入しに行く。このジャスコはだだっぴろいフロアが1F,2Fとある最近流行りの店舗である。病み上がりの身体には広いフロアは多少こたえる。どこにあるのか迷ってしまって、なんか熱が出てきそうだった。商品の展示がイマイチで、やはり衣料はサイズ別にはっきりしていたほうがいいのではないだろうか。パジャマと下着を購入し帰路に着いたが、薄着で出てきたためか寒風がしみる。一時間半あまりの外出だったが、結構疲れるものだ。

病院の夕食に年越しそばが出てきて、ようやく大晦日かということを実感する。今年は最後に入院手術と人生の中でも大事を迎えることとなった。一人で病院のベットに横たわっていると、今年のいろいろなことが思い出されてくる。社会人になってこれほど休養・養生している期間もない。来年は49歳と節目の50歳目前となる。再生という文字が流行りの言葉として、実態とはかけ離れた虚像が一人歩きしているが、私個人の場合では、本当に手術をして再生したわけだから(^^)最後の40代を大いに楽しんでいきたい。
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(霜月壱拾九日) 入院10日目  

もう10日も経つのか、まだ10日なのか、ちょっと微妙なところですが、普通のヘルニア手術であれば一昨日あたりの退院ですから、私の場合はちょっと遅いということでしょうか。今朝は前日と違ってぐっすり眠れたので目覚めはよく、天気もいいので病院の周りを半周しました。広島地方は今年一番の寒さでジャンバーを着ていても寒さを感じたが、久し振りの外出(というものでもありませんが、ははは)ということでまわりの景色がとても新鮮。やっぱりシャバはいいということですかね。

午後からは点滴が外れたこともあって、創部に水がかからないようにしながら、一週間ぶりのお風呂、というかシャワーを浴びた。昨日ぐらいから頭が痒くて仕方がなかったので、本当にさっぱりとした。そして鏡に映る自身の姿を見て、その部分の違いを確認すると、あのペットボトルの塊のような部位はなくなり、反対側と同じような形状になっていて、ほっとしたのが本音だった。しかし、炎症からの微熱は昨日はおさまっていたのに、今日は昼からじりじりと37℃台が続き、早々の退院は無理のようだ。今日は大納会だったが、大発会もちょっと難しいみたいだ。

とはいえ、寝たきりというわけではないので、あと少し読書にでも専念しようか思っていますが、やっぱり横になってTVを見てしまうのが楽ですな。TVといえば、今日NHKBS1でプロ野球70年の特集の再放送をしていたが、そのなかで昭和50年の懐かしいカープの初優勝が一時間余り流されていた。まだ若い浩二や衣笠、外木場、佐伯、金城、そして毒舌の大下など、もう30年ちかく前になるんだなあ。でもあの時の優勝は4月末に辞任したルーツ監督にあることは云うまでない。勝利に対する執念を植え付けたルーツは抗議に対する措置で、フロントがグラウンドに下りてきたので、自分は解雇されたと判断したようだが、現場の選手は試合の後のミーティングで辞任の話を監督自らしたことに驚いたようだ。監督という仕事に対する価値観の違いがそこにはあった。その後のカープナインの「For the Team」は素晴らしい結果を生んだのは云うまでもないが、あの頃のがむしゃらさと比べると、今の広島に足りない何かを感じざるを得なかった。
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(霜月壱拾八日) 入院9日目  

昨夜から今朝にかけては最低最悪。前日入院された同部屋の方が、体調すこぶる悪く胃の中を嘔吐されるのだが、これが夜中ずっと続くと、隣の私が眠れるはずがない。なにせ吐き方が半端じゃない。臓物が出てくるのではないかという感じでこちらまで気分が悪くなってくる。さらに気分悪く、まだ○時か、などと声をあげられるともう堪りません。5時前に我慢できなくて、一階の外来待合のロビーで難しい古典を読んで頭を疲れさすことにする。しかし、病院側も少しは同部屋の人のことを考えて欲しいわ、今日も同じだったら絶対こちらから部屋を替わってやると意気込んでいたら、○○さん部屋替わりますよと看護師さんがいうのを聞いてほっとした。そりゃあれじゃ迷惑千万でっせ。

夕方には手術以来つけていた点滴のハリが外された。これで例の点滴台をゴロゴロと転がしながら歩行するという状態から開放された。これがあると着替えは面倒ですし、血が逆流すると慌てるし、いろいろ大変でした。さて傷の状態はあまりよくないようで、腹部の炎症が傷口を圧迫し、触ると痛みが走る。ちょうど火山で地下のマグマが出口をみつけて上昇するように。今日の検診では最後にCTスキャンでチェックしましょうかと云われる。仕事が始まると、具合が悪くなってすぐ病院に駆け込む、という状態にはならないだけに最新の注意が必要かなと思いつつ、正月は病院でゆっくりしようかななどと思っている。
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(霜月壱拾七日) 入院8日目  

リハビリの日々が続いています。朝少々腹痛があったので嫌な気持ちだったのですが(ヘルニア患者にとって再発は地獄ですからね)通じが終わるとそれもどこかへ飛んでいきました。今朝方までなかなか眠りが浅かったため、午前中はどこか体調が変だったのかも知れません。

昼前に執刀医の先生にガーゼ交換をしていただく。微熱が続いているのは癒着部分からの熱が原因なので、平熱になるまでゆっくりしますかと尋ねられる。県病院なので今日が御用納めで事務は今日で終わりですから、いつ退院しても手続きは変わらないとのこと。通院するのに往復3時間もかかることを考えれば、やっぱりゆっくり養生することになりそうです。

今日は年末とあって入院患者も少なくなり、男性患者はばらばらになっていたのを3人ずつ集められまして、集中管理?という状態。でも女性患者はそうでもなく、これはセクハラじゃないのと思いつつも、女性患者はなかなか折り合いが悪いんですかね。しかし、一般外科といいつつも胃がん患者という人が目立ちます。皆さん健康が一番ですよ。やっぱ。
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(霜月壱拾六日 望) 入院7日目  

はや一週間がたちましたが、私の感覚ではもう一週間も経つのという感じ。朝から普通の食事ですが、やはり丸2日間絶食ですからお腹が受け付けません。半分ぐらいでもう満腹です。リハビリ状態とあってか、器具の多い二人部屋から再度3人部屋に移動ですが、トイレが近くなったので、その点、楽になったのが幸いです。今日は通じもありましたし。(^^)

それと食事を取りはじめたので点滴の量が半分の3本になったので、両手が使えるので楽になりました。なにせ点滴をつけたまま、着替えをするのは一人ではなかなか面倒ですしね。でも昼過ぎには微熱が出てきて、ちょっとくらくら。まだ、患部の腫れのせいでしょうか。熱さましの抗生物質も点滴で入れているのですが、あまり効果がないようです。

夕方3日連続で愚妻が来てくれました。仕事を終えて車で桟橋まで来て、高速艇で海をわたり路面電車で来るわけで、片道一時間以上かかるわけで本当に頭が下がります。入院の時ってやはり支えてくれるのは家族ですから、ここ広島で手術入院というのは正解だったのではないでしょうか。
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(霜月壱拾五日) 入院6日目  

手術後特に腹部の手術のあとで重要なのはガス、屁である。戦前の浜口首相の暗殺未遂事件でも、当時人気があった首相だけに「全国民が屁を期待している」とまで新聞紙上に書かれたのは有名な話だ。私の場合も朝方からそれらしき兆候はあるのだが、なかなか出ない。これが出ないと水分も直接取れないし、点滴がずっと続くわけだ。この点滴、結構日に500CCが6本と多いので、3時間おきぐらいにトイレに行かなければならないのだ。さらに部屋が変わったためトイレが遠くなり、術後の腹部を抑えながらの歩行はかなり苦痛となっていた。

そして、この日の午後ようやく待望の屁が出ましたよ。ラッキー!看護士に告げると夜から食事が出ると思いますとのこと。お腹の虫が鳴り捲っていたので、ようやく食べられるという安心感でいっぱいだ。おかゆから始めますときいていたのだが、出てきたものは確かにおかゆですが、そのほかのおかずが多いのでびっくり。見てみると並食ではないですか。病人づらしたら駄目ですよということでしょうか。欧米では日帰り手術も多いヘルニアですから、病気のうちに入らないということなんでしょうが、腹部を10センチも切って癒着した膜を剥がしていった手術ではそんな簡単に復帰は出来そうもありません。術後4日目が平均的な退院日らしいですが、私の場合は良くて年内ということでしょうか。
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(霜月壱拾四日 クリスマス) 入院5日目  

手術の夜の激痛は半端ではなかった。傷口も痛むが、それよりも背中の痛みである。12時間以上仰向けになっていたせいで、体重が背中に負荷をかけたようで、触るだけで飛び上がるような痛みが生じる。その度にナースコールをして何らかの措置してもらうが、全く効き目なし。最後は痛み止めの注射でようやく明け方の3時近くに眠ることになったが、6時前にはもう目覚める。

午前中はガーゼ交換をしてその際に手術の詳細を聞かせてもらう。私の場合、左ソケイ部は完全に崩壊しており、腹腔が手首大の大きさで落ちて、その中に腸が落ちていたらしい。その大きさは2リットルのペットボトルの3分の2ぐらいだったらしい。さらに、はみ出した腸が睾丸と癒着しており、これを剥ぐのに大変だったらしい。したがってリンパ球の関係で、タマが腫れることになるかもしれませんと、真顔で心配される。3時間近くかかった理由はこの癒着にあったようで、長年放置していたせいなのだ。

午後からは愚妻が子供達を連れてきたが、ちょうど激痛に悩まされていた時で、娘は父親の姿を見たくないのか耳を塞いでいた。手の甲に注射をして点滴をしている父を見たくはなかったのだろう。目が空ろだ。次男は久しぶりに見た親父の痩せた姿にいささか驚いているようだが、父さん頑張ってねと声をかけてくれる。クリスマスというのでケンタッキーを楽しみにしている娘は迎えに来た義妹の姿を目にすると、バイバイといって病室を後にした。Mちゃんこめんね。

この日も痛みが続くが前日よりはましだ。七転八倒する親父をみて見かねたのか、愚妻は明日も仕事の帰りに寄ると言い残していった。今日はゆっくり眠れるか。
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