(師走八日 上弦) あれから10年  

今日の日経新聞をみていると、三井住友銀行の一面広告がとても印象的だった。神戸の象徴である風見鶏の上に広がる曇り空に1995年1月18日からの今日までのカレンダーが並んでいる。その日数、3653。気の遠くなるような数のようだが、あの日のことは今も鮮明に思い出せる。私の今までの人生で、死ぬかもしれないと思ったことはあの時だけだろう。

10年というのはマスコミにとっては区切りの時でもある。だからこそ、TVや新聞はこれでもかと洪水のように報道している。しかし、それは時間的な経過であり、そこに住んでいるものには決して区切りではない。毎日一生懸命生きている人もいれば、夢破れ希望を失った人も数多くいる。一言では言い表せない10年であり、人それぞれの人生がそこにはある。しかし、あの惨事で6433名の尊い命が奪われたのはまぎれも無い事実であり、無念にもこの世を去らなければならなかった人達の思いを私達は決して忘れてはならない。

私達は失ったものも大きかったが、あの当時ほど他人を思いやるというのが当たり前だったこの地域の人達を思い出して欲しい。しかし、周りの景色は高層マンションなどで変わっていき、人々のなかにもあの思いやりの心は薄くなりつつあるようだ。水道が止まり、電気やガスも出ない生活の中では皆が助け合わざるを得なかった。普通の生活が戻るにしたがって、段々と経済力の差があらわれてきた。そうした心の葛藤は経験したものしかわからないだろう。災害は自分がその立場にならない限り実感はない。地震列島である日本にいる限りは、多かれ少なかれその危険にさらされている。問題はそうした時に自分はどんな行動をできるかということだろう。10年前のように再び「美しい」行動を取れるだろうか。
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(師走七日) 金融史がわかれば世界がわかる  

倉都康行著 ちくま新書

FISCOと合流したRPTechの倉都代表の新刊である。副題には、「金融力」とはなにか、とある。金融力という聞きなれない言葉について著者は、経済と金融は明らかに異なる分野であり、経済力という概念があるのだから、金融力という捉え方もできるはずであると断じている。そしてEconomyとFinanceという概念が車の両輪となり世界を制覇した、イギリスのポンドとアメリカのドルの歴史を振り返りながら、今後の金融の方向性を(日本を含めて)示唆している。

歴史は繰り返すとよく言われるが、輪廻の世界が人類の経験の浅はかさを示すのではなく、その本性の発露であるとすれば、時系列のなかで後ろに続く者達は安堵するのではないだろうか。リスクヘッジという概念が先物市場という場を通して最初に生成されたのが、大坂堂島の米市場であったという史実は、日本人の知恵を明確に表しているが、それからの発展はなく、1990年代は見るも無残な結果しか生まなかった。日本の金融土壌にイギリスやアメリカの金融力が植え付けられなかったのは、砂上の楼閣のようなハードしか求めようとしなかった日本人の意識構造にあったのではないだろうか。ソフトというか、概念に対しての探求が不足していたのではないか。紙と鉛筆しかなかった戦後で世界に対して日本という国をアピールできたのは、日本の物理学者たちであったことを思い浮かべて欲しい。

モノづくりの復活と世間ではよく言うが、肝心の資金が無ければ画餅そのものである。日本国内の富である金融資産がゼロ金利という政策のために、方向性を失った流浪の民ならぬ、彷徨える円資金という亡霊になる可能性がますます強くなっている。今こそ、この国に金融、つまりお金を融通する道標を創造しなければならないのではないか。
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(師走六日) 生活習慣病  

ヘルニア手術を終えて、生活習慣病である糖尿病のその後の経過を調べるために大阪の済生会中津病院へ。採血をして結果を待つこと50分。血糖値は96、HBA1Cは5.6と正常値の範囲内。しかし、この病院に治療で最初に訪れた昨年の9月末では、血糖値は140、HBA1Cは8.4だったことを思えば、よく食事療法だけでここまで出来たことに、自分で自分を誉めてやりたい。

しかし、なかなか減らないのがコレステロール。11月時に190まで落ちていたのが、今回は227。一応正常値の上限というのだが、なにか釈然としません。あけだけ体重を落としたのに減らないなんてショックまたショック。特に悪玉コレステロールが152とかでこれには絶句。なんかこの数値減らせる食材やうまい方法を考えないとあきませんなあ。あれだけ油抜きダイエットに励んだのになんでぇ?
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(師走五日) 4LからXLへ  

体重が15キロ以上も落ちるとスーツは全く合わない。私の場合、スーツは高島屋でイージーオーダーというのが、東京時代から続いている。なぜかというと、ズボンのタックは普通二つしかつけないが、100キロあった私はタックは三つ必要だったので、快くやってくれるのが高島屋だったというのが選択の理由である。しかし、スリータックがこの縮んだ身体に合うようにスーツをつめる場合、大いに問題になるのである。あまりにつめると妙に変になってしまい、格好がつかなくなるのである。そんなわけでウエストはけっこうぶかぶかなのだが、これ以上は無理という具合になるのである。

手術前に頼んでおいたスーツの修繕が終わったので、昼休みに取りに行ったのだが、一月前より3キロ痩せているので、やっぱり今回もちょっと余裕ありありだ。でも一気に新しいスーツを何着も作るというわけにはいかないし、まあ、ベルトで落ちないようにすればいいことだしね。

こんなに痩せたら、もう大きいサイズではなくて、普通のM.、L、XLも着られるのではないか(MとかLは冗談だけどね)と思って、隣のビルの地下にあるUNIQLOへ直行。ハーフコートのXLを試着すると、そこそこ着られますよ。へぇ、やっぱり痩せたなあ。なにせそれまでは普通は4L、ものによっては5Lだったのですから、一挙に2段階サイズダウン!やっぱり普通サイズというのは色も多いし、着る楽しみが増えるものという当たり前のことがようやく自分にも蘇るのだ。やっぱ、肥満はあきまへんで!
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(師走四日) 吉本興業  

今日は会社のお偉方が来店。ランチを挟んで訓辞と客先訪問と相成った。訓示はこちらが眠くなるような声で、何をしゃべっているのかわかりゃせんがのぅ。だいたいこんなときは全員で立って聞けば良いものをうちの管理職も分かってないなあ。この後、管理職との懇談だが、近くの吉本はどうなの?というお尋ねには唖然。それは担当が違いますがな。同じグループのホールセール証券が担当というのをご存知無いのですよ、あ〜あ、あかんわ。

さてその吉本、先日林会長がお亡くなりになりましたが、ライオンと恐れられた義父の林正之助氏とその後継者・中邨秀雄氏の後を引き継いで、お笑い商社・吉本興業を不動のものにしたが、最近の島田紳助の事件といい、すこし箍が外れてきたという感もするがどうだろう。吉本というと、「ケチ」といわれることも多いが、これは先日再生機構入りした吉本ビルの吉本晴彦氏(通称「ケチ本」)のことで、吉本興業は同じく関西の雄サントリーの「やってみなはれ」と同じで、「おもしろそうやな、やってみぃや」となる。しかし、これに「けど、赤字出しなや」と来るのである。企画立案は大いに結構だが、算盤勘定はちゃんとやってな、ということなのだ。吉本の逃げ足の速さは有名で、銀座の7丁目劇場がうけていたときに、夕刊を出したことがあるが、儲からんとなるとさっさと廃刊。いまのなんばグランド花月(NGK)も1987年のこけら落しのときは、ブロードウェイのタップダンサーを起用して、アメリカン・バラエティを目指していたが、ダンサーのギャラと採算が合わないと分かると、すぐに打ち切ってしまったのだ。中邨は「失敗は恐れるな、町工場の本田も失敗して、世界のホンダになった。」が口癖だったが、同時に「赤字は出しなや」はついて回っていたのである。

ここで、吉本の管理職のあり方を説いた10か条を紹介しよう。

1) 自分の事は自分でする。逃げない投げない押し付けない。
2) 異質なものを尊重する。それが変化のエネルギー。
3) 成功に部下を導くその笑顔。笑う上司に人材が育つ。
4) 上司の成長が何より手本。昨日より今日、今日よりも明日。
5) まず動け。背中の雄弁は言葉を凌ぐ。
6) 部下にチャンスをつくらせて、伸び伸びやらせ、手柄は部下に。
7) 上司は部下へのサービスマン。部下に利用される上司であろう。
8) 温かい気持ちが部下を語らせる。語らぬ理由は上司にもあり。
9) 部下の気持ちに気遣うよりも一緒に走ろう。考えよう。
10) こうするという意思は予測を覆す。どうなるよりもどうするを問え。

お偉方殿、吉本をお客さんにする前にこの10か条を実践するのが先じゃないでしょうかね。
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(師走参日) 相当の対価  

青色発光ダイオード(LED)に関する発明の対価をめぐって係争中だった、中村修二氏と日亜化学工業との間で和解が成立した。一審の東京地裁が604億3006万円と評価した特許技術(404特許)は、今回404特許を含めて中村氏が日亜在籍中に発明した特許と実用新案,ノウハウのすべてに対して、6億857万円とおよそ100分の1に減額された。これに対して中村氏は、「日本の司法制度は腐っている。」と酷評した。といっても弁護団から、最高裁では法律論が繰り返されるだけで、これ以上の成果が期待できないといわれたようで、上告の手続は取らなかったようだ。

社会問題にもなった「相当の対価」とは何であろうか。中村氏の場合は、この発明がなされるまでの経緯が特異で、一般的な事例ではないと一審でも裁判長が述べているが、上がってきた利益の半分を「相当の対価」とした判例に世間は驚愕した。反面、技術者や研究者に大きな励みを与えたことも事実である。

私見を述べさせてもらうと、この「相当の対価」が6億円強という数字の根拠は分からないが、何か釈然としないのは確かである。確かに中村氏は会社を辞め、アメリカの大学教授という職を得ているが、そもそも日本企業ではすべての研究者が成功者になるわけでもなく、発明者が特許を会社に譲渡することで、結果が出なかった場合の身分保証をしているように思う。したがって、会社を興すとか、数年で成果が出なければ解雇するといった契約が結ばれているとかであれば、「相当の対価」も高額になっても不思議は無い。やはり、それなりのリスクを背負った人間のみが「相当の対価」を要求できるのではないか。

これもまたリスクリターンをどう捉えるかだろう。しかし、今回の事案は会社側と研究者の関係が泥沼状態だった。2万円で事足れりとした会社側の非常識も一因だし、感情的なボタンのかけ違いがあったようにしか思えない。島津の田中氏のような人もいるし、人様々なのが「相当の対価」ではないだろうか。


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(師走弐日) 残り福  

宝恵駕籠(ホエカゴ)行列がミナミの街を練り歩いておりました。ホエカゴ、ホエカゴと連呼され、きれいどころが輿に乗って、福娘もその後をついていってましたよ。阪神が優勝したとき道頓堀に若者が飛び込んだのが、戎橋。そう、この橋は今宮戎神社への参道なんであります。「えべっさん」のふくよかな顔のポスターが並んだこの界隈は、両側に露天がびっしりと並び、参拝客の客寄せに余念が無い。しかし、ここ数日の寒さは12月の暖冬が嘘のようで、皆コートの襟を立てて神社に向かっているためか、露天を覗く人もすくないように思えた。「宵戎」「本戎」ときて最後は「残り福」とはなんとも語呂がいいものだ。いかにも大阪らしい商売っ気あふれる「福」を目指して、人々の行列は続く。

しかし、どこにでも残り福があるとは限らない。株式市場もその例かもしれない。右肩上がりの世界であれば、どこでも誰でも儲けられるが、世の中そんなに甘くは無い。結局はその人の運次第といったら無責任だろうか。どんなに勉強してもビギナーズラックにかなわないことさえある。不敗神話の山崎種三ならともかく、所詮この世のなか体力勝負である。それは金もしかりである。負けつづければ退出を余儀なくされる。それだけのことである。運を大事にすること、それが成功の秘訣というものじゃないかな。
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