(睦月七日) 戦争論  

クラウゼヴィッツ著 篠田英雄訳 岩波文庫

長かった、だたそれに尽きる。上、中、下とこの三巻を読破するのに何ヶ月かかったのだろうか。年末年始の入院時に読破する予定だったが、これを読んでいるといつの間にか深い催眠作用をもよおすだけだった。

戦争
という人類の永遠のテーマについて、彼はその哲学的考察から戦争を政治の中に組み入れた。政治と戦争に関しては、かの「君主論」で知られるマキャベルリが論じているが、その戦争はあくまでも「中世」の戦争であり、近代戦争ではなかった。さらに戦争の原型から必然的に帰結として、戦争の本性を敵戦闘力の「撃滅」に見出した。この撃滅戦略は戦争論の根幹をなす論理であるだけに、しばしば繰り返し用いられている。

プロイセンに生まれたクラウゼヴィッツにとって、フリードリヒ二世という自国の英雄と敵国フランスの英雄ナポレオンという稀代の戦略家を対比しながら、戦争の本質を政治手段とし近代戦を綿密に分析した。出版後170年あまり経ち、この間に行なわれた大小多数の戦争における闘争手段は、科学と技術とのめざましい発展で甚大な変化を経験したことは周知の事実である。

しかし、クラウゼヴィッツが論じた戦争論はヨーロッパという限られた地域でのいわば「古典的」近代戦でもあった。戦争が民族と宗教の代理戦争となった現代では、新戦争論を描く必要に迫られているのではないか。戦争がなくなるにこしたことはないが、世界を見ればそれは理想に過ぎないし、敵を撃滅することが自らの破滅につながることもありうる。読み終えた後、歴史は繰り返すという言葉は政治には当てはまるかもしれないが、政治手段の戦争は未知との戦いではないかというのが私の実感である。
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