(弥生廿弐日) 大和ミュージアム  

戦後60年という節の年であるせいか、先の中国や韓国の反日運動がとかく注目される。日本においても過去を振り返るということから、各地で記念館も建設されているのだろうが、先週オープンした呉の「大和ミュージアム」は最大の目玉である十分の1の戦艦大和の模型をメインにしながら、日本海軍の母港として発達した呉の歴史を振り返る施設であるとともに、松本零士監修の未来の技術をも紹介している。

正面入口に右に巨大なスクリューと大砲が目に入ってくる。思わずこれが大和のものなのと思ったが、それは呉の南、柱島付近で謎の爆発で沈んだ戦艦陸奥の実寸大のものだった。陸奥は戦艦長門と同型で、私が初めて作ったプラモデルでもあった。入場券を購入し、いざ館内へ。当然最初に目に入ってくるのが、目玉の「大和」である。あとで分かったのだが、これは入場券を購入しなくても正面からはその威容を見ることはできるが、やはり前から横から後ろから見ると、まさに芸術品というもので建造直後は日本もこのような戦艦を作れるのだという自信が溢れていたのではないだろうか。それが時代錯誤ということに気がつくまでは。

館内は海軍工廠としての呉の歴史を数々の資料を展示しており、見学者は子供連れが多かったのは意外だったが、呉市民の高校生以下は無料というのが効いているかもしれない。特攻潜水艦の回天や零式戦闘機も展示してあり、左の人には苦々しいばかりかもしれないが、歴史は平等に振り返るべきだと思う私には、それなりの展示だったように思う。大和乗組員の一人一人が銘記されたボードをなぞる老婦人がいて、思わず目頭が熱くなった。敗戦必至というなかで、上に服従しなければならない不条理を超えていった戦没者の気持ちを考えると、四国の実家にある伯父の墓標を思い出さざるをえない。働き盛りの長男を失った私の祖母。父に続き兄も失った私の父。普通の日本人が体験した不条理を60年という時間で埋めるということは人それぞれに異なるものだろう。
0

(弥生廿壱日 みどりの日) 複雑系  

新潮文庫 M・ミッチェル・ワールドロップ著 田中三彦/遠山峻征訳
〜科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち〜

複雑系という言葉が一般化してきたのは、1990年代半ばというのが私のイメージだが、サンタフェ研究所はすでに複雑系研究の中心的存在として名をはせていた。しかし、おじさん世代にはサンタフェというと懐かしい「宮沢りえ」の写真集のほうが衝撃的かもしれない。

さて、ニュートン物理学を引きずったアダム・スミス以来の経済学は、ケインズの修正という大きな変化もあったが、一般的には均衡理論を基調とする静態的理論が先行し、時代の変化を捉えきれないという致命的な欠陥を、オブラートでいかに隠すかということに専念しているように見えたのは、私だけだろうか。

そんな時に万能薬のごとく現れたのが、「複雑系」という理論構成だったように思える。確かに複雑系やカオス理論は現実を説明する上で、それまでの理論の矛盾を解き明かすという点においては多大な貢献を果たしたと思うが、すべてがそれで解決するというものでもない。

自然科学と社会科学の差は大きいと思うが、科学の発達で神の領域まで人間が入り込もうとしている自然科学に比べて、貧困さえも解決できない社会科学の混迷ぶりはどうだ。特に経済学は本来ノーベル賞が与えられなかったのが当り前と思われるダッチロールには目を覆うばかりである。科学の原点を再認識するために一読していただいて、現代の経済問題を解決するヒントを見つけるのも一考である。しかし、読みづらい本である。疲れた〜
0

(弥生廿日) 真夏日?  

さすがに大阪では30度を超えなかったようだが、今日の日本列島はフェーン現象もあって、米子では33度を記録したらしい。サクラも例年よりも遅くなるなど春先の寒の戻りも嘘のような夏の訪れということか。これほど気温の上下があると、身体もついていくのが大変で何となくすぐれないのも事実である。(久しぶりに仕事がイマイチだった4月だったのが最大の影響か、ははは)

毎日の通勤時にはカラフルなツツジが目につく。ここのところゴールデンウィーク前にはすでにピークを過ぎてしまっていたが、今年はここしばらくが見頃になりそうだ。明日からGWが始まるが、私自身も5月2日を休みにして7連休となる。3月の娘の卒業式以来の広島行きを予定しており、一日は四国の実家に帰ることにしている。移動するには一番いい季節だし、愚妻の高速運転デビューもありそうである。ツツジというと呉の音戸の瀬戸はとてもきれいだが、GWにはすでに枯れかけていて、がっかりということが多かったが、今年は期待できそうである。先週完成した「大和ミュージアム」も見てこようかな。
0

(弥生壱拾九日) 予断を与える事実  

JR西日本の脱線事故で会社側がおこなう記者会見の様子が一変したらしい。事故調査委員会から予断を与える事実の公表を控えるように要請されたようだ。事故原因として置石を第一に予測されるような写真の公表などが、捜査当局に対して不信感を抱かせたのだろう。

ところで、1985年の御巣鷹山の日航ジャンボ機の墜落現場で、機体回収を手伝おうという熱心さから残骸に近づこうとした日航社員たちさえ、警察によって厳重に阻止された事実を同じ公共輸送機関のJRは知らないのであろうか。被告になるかもしれない人間たちに証拠を触らせるわけはない。事故調査というのはそういうものなのである。JRが先にレールの粉砕痕の写真を撮って公表するという行為がいかに逸脱したものであるかがわかるだろう。

南谷会長は世界に誇る山陽新幹線ということで本を上梓した人間だが、結果として肝心の通勤路線には安全のための金をかけていなかったということになるのだろう。目立つところには金をかけて見栄えをよくして、目立たないところは手を抜くというのは私企業としてはあり得ることだろうが、こと人の命を預かる公共輸送機関としての対応としては常識はずれといってもいい。労働組合もこのときばかりと会社側を突き上げているようだが、あんたたちもその組織の一員だろう。大阪市役所のいいかげんな労使関係と同一ではないか。腐った組織は一度解体からやり直した方がいい。
0

(弥生壱拾八日) マスコミが伝えないこと  

尼崎のJR脱線事故はその後も犠牲者は増え続けている。7両編成の電車に乗り合わせた人達の不運を嘆いても仕方がないかもしれないが、死傷者ベースではジャンボ飛行機の墜落事故に匹敵することを考えると、そんな事故が起こるはずが無いという確率での惨事である。3人死亡200人が乗っていたというのが、第一報だったと思う。これが写真を見る限り、そんなことは無いだろうと思いつつも報道機関は憶測では発表できないし、当局のコメント待ちとならざるを得ない。しかし、相変わらず災害報道の愚の骨頂ともいうべき現象は起こっている。

まず第一に報道ヘリの過剰な取材である。病院移送手段として緊急ヘリポートが近くの学校の校庭に設置される中で、報道ヘリがうろうろすれば管制も大変になることは当たり前だし、人命救助作業であのヘリの爆音は百害あって一利なしである。また地上での被害者に対する過剰取材もいただけないものだろう。記者クラブという利権組織があるのだから、取材するなとは云わないが、節度ある取材が要求されるわけで統制すべきではないか。

また、置石問題が取り沙汰されているが、あの一帯は町工場が多く、閑静な住宅地という土地柄ではない。しかし、そうしたところの人々は自分たちのトラックを出して怪我人を搬送した。TVに映っていたトラックの荷台で運ばれていたのはそれなのである。壊れた車体から少しでも早く救出しようとバールなどの工具をもってかけつけた人もいた。周辺の医療機関の対応も早かった。近くの学校の校庭にはヘリポートが設けられ重傷者が次々と運ばれていった。救助にあたっている救急隊が住民のそうした協力には頭を下げているということをマスコミは伝えてはいない。阪神大震災を経験し、非常時に何をなすべきかという貴重な経験を持っているこの一帯の住民の民度は非常に高いのである。それだけにマスコミの相変わらずの姿勢が目立つのである。大事件大事故の被災地取材の代表制をメディアはきちんと構築すべきである。
0

(弥生壱拾七日) 大惨事  

ふと情報ベンダーの画面を見ていたら、尼崎でJRが脱線事故というニュースが流れていた。朝のラッシュ時を過ぎたとはいえ、かなりの乗客が乗っていたのだろうと思いつつ、ネットの新聞社の速報写真を見ていると、「これは酷い」。当初は死者3名とかいっていたが、そんなもんじゃないだろうと思っていたら、案の定時間が経つ度に犠牲者が増えていった。

尼崎と京橋を結ぶJR東西線が開通して、あらたな通勤路線となった福知山線は昔はのどかなローカル線だったのに、三田方面から通勤客を満載したドル箱路線に変貌させた。それまでは通過駅だった尼崎は、神戸方面と宝塚方面の乗降客が重なり合うJRのターミナルとなっている。とはいえ、軌道は昔のままで幾分カーブの多い路線であり、そこをスピード超過で走行すれば事故も起こるというものだろう。軽量化された車体はここまで曲がるかというほどひしゃげている。生身の人間がどうなったかというのは映画ではないだけに、悲惨さは余りある。

必死の救助活動がおこなわれているようだが、まだまだ犠牲者は増えそうである。TVではJR西日本では置石の可能性をいっているようだが、今の時点ではかなりスピードを出していたという事実しかわかっていないだけに、責任転嫁とも思われる発言はやめておいたほうがいいのではないだろうか。

近くの事故ということでいろいろな人からご連絡も頂いた。ご配慮に感謝致します。
0

(弥生壱拾六日 望) 外交戦略  

アジア・アフリカ会議というとスカルノ、ネール、周恩来など戦後の指導者の面々が思い浮かぶが、そのバンドン会議から50年。日中対立を背景に世界の注目を浴びたが、今回の日本の外交戦略はなかなか見事だったのではないだろうか。 

そもそも密室での謝罪や和解や裏金渡しは必ず永続的なタカリをもたらす。外交でも基本は同じである。バンドン会議の冒頭で、小泉首相は世界の耳目を前に改めて「謝罪と反省」をしてみせたのである。しかし、「村山談話」の確認という形を使ったことで、何も新しく頭を下げたわけではない。中国べったりだった社会党首相にその責任をかぶせたのは歴史の皮肉と言っていい。

しかし世界は驚いた。日本がかくもきちんとした歴史的ケジメをつけていたことを改めて知ったのだ。アジア各国の首脳の反応は、総じて「驚き」と「感激」であった。日本に好意を寄せているタイのタクシン首相などは胡錦濤主席との会談で小泉発言をわざわざ持ち出した。胡錦濤主席はしぶしぶ好意的評価をせざるを得なかったのである。

上海領事館へのカメラ取材もなかなか効果的だった。あの惨状は世界に発信された。願わくばあのまま北京五輪までそのままにしておけば、中国は世界中から批判されるに違いないだろう。最近の外務省の対中戦略は従来とは少し違ってきたようで、いい傾向ではないだろうか。

0




AutoPage最新お知らせ