(如月廿八日) 健康志向  

先週末検査を受けに病院を訪れたが、いつも思うことがある。高齢者の健康への異常なまでの執着である。健康食品市場が急拡大し、フィットネスクラブは若者の集客を諦めて、医療機関とタイアップしての高齢者の生活習慣病予防のプログラムで大盛況である。還暦を過ぎた仲間が集まれば健康自慢に花が咲くということである。しかし、何事にも行き過ぎはあるもので、一種の病理とも思えるほどである。

人間老いれば身体の異常が増えるのは当たり前のことである。ところが検査技術の発達で、かつては老化と受け取られたことが、そうではなくなった。誰もが身体の異常を取り除くため過剰な努力を強いられているといったほうがいいかもしれない状態だ。正常か異常か、健康か病気かをきっちり分けて、いつまでも健康でいたいというのは一種の神経症ではないだろうか。

日本人が豊かさへの目標をもっていた時は、こうした現象はなかったように思う。積極的な目標を失うと人間は内向きになって、それが極まると健康への執着となるというのは偏見だろうか。健康であることが自己目的化しているのである。

人間が生命体であるかぎり、生老病死のサイクルからは逃れられない。いつかは死ぬという当たり前のことを受け入れる心構えを持たなければならないのに、最近の老齢者の執着はすさまじきものがあるとはいえないか。お金を使えば健康が保てるという幻想はさっさと捨てるべきである。健康のなかに病気があり、病気の中に健康があるというグレーゾーンを認めて生きていけばいいのではないか。高い医療費が国家の財政を蝕むことは間違いない。

人生を「お勤め」、死ぬことを「お迎え」と叫んでいた日本の伝統的な死生観を取り戻すべきである。
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