(卯月廿壱日 八専始) 河村瑞賢  

最近の教科者ではどうなのか知らないが、私が河村瑞賢の名前を目にしたのは中学の社会科の教科書だったと思う。江戸時代の治水に貢献した豪商という記載だったと思うが、今日のテレビで、有名な明暦の振袖火事で彼が取った行動がクイズになっていた。これは有名な話で、江戸の火がまだ消えやらぬときに、河村瑞賢(当時はまた苗字を帯刀しておらず、十右衛門という名前だった)は有り金をもって、木曾の山中に向かい、火事のあとに必要になる材木を買い占め、言い値で売ることに成功し、大富豪となったわけだ。

しかし、十右衛門の話としてもっと知っておきたいことがある。彼は伊勢の出身で若くして江戸に出てきたが、さっぱりで乞食同然の生活状態になり、江戸を後にした。小田原である老人に諭され、「宝の山」の江戸に帰ることにした。その道中、品川の浜で江戸の町人が捨てた瓜や茄子が漂っているのを見つけた。今まで気付かなかったのだが、これが「宝の山」と思った十右衛門は、残菜を集めて漬物に仕込んで行商をした。安くもあり昼の弁当の菜にちょうどよかったので飛ぶように売れた。拾っては漬け、漬けては売った。買って食う者こそいい面の皮だったが、材料はただなので面白いほど儲かったのだ。

工事場に出入りする便宜を図ってもらうために、普請の役人に袖の下を使うことも忘れなかった。役人も喜んで目をかけるうちに、漬物屋から人夫頭の登用した。その間に十右衛門は土木や建築のことを覚えたのである。これが例の火事のあとの行動につながった。河村瑞賢の知られざる話である。

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