(水無月五日) 夏風邪?  

鬱陶しい週末である。止んだかと思ったら、また降りだす雨を見ていると買い物にも出掛ける気にならず、ベットの上でゴロゴロ。エアコンがきつすぎたのだろうか、夕方近くから頭がズキズキ。頭痛薬を飲むが全く効き目なし。頭を冷やすために愚息に「熱さまシート」を買ってきてもらい、なんとか眠れることになる。そうやっているうちに目が覚めると7時半すぎ。かれこれ4時間あまり唸っていたということか。ただ、食欲は全くなく、気持ち悪い寝汗が首の周りに纏わりついている。

しばし、義経とスターウォーズを見ていたが、次第に疲れてきて瞼が重くなる。やはりエアコン風邪のようだ。雨が止んだようなので窓を開けて、少し蒸し暑いがエアコン無しで過ごさないとやっぱり身体に悪いようですなあ。
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(水無月四日) 失意  

もう10日余りになるが、NSPのリーダー天野滋氏が脳内出血で亡くなった。我々フォーク世代にとってNSPとは忘れられない存在であったし、昨年復活のコンサートを成し遂げ、第二の旅立ちかと思っていたのに、突然の死は心にぽっかり穴の開いた状態となってしまった。失意のどん底のVERDE氏とまではいかない自分の思いの浅さに自嘲する日々が続いた。

人は大きな不幸にあうと運命というものを考える。運命についてはいろいろ云われているが、どれだけ勉強しても分かるものではない。所詮、人間は調子のいい時は自分のことしか考えない。自分に不幸が訪れて、その日その日を苦労してこそ、他人様のことを考えるものである。よく人間性の問題などというが、もって生まれたときからのものと、大きな不幸や苦労を耐えてきて分かるものとがある。苦労したことのない人には、人の不幸というものは分からない。自分が失意のどん底にあるとき、何が心の支えになるだろうか。それは大きな悲しみを経験した人の暖かい言葉ではないだろうか。

亡くなった天野氏に慰められるというのはおかしいかもしれないが、あの物悲しい曲を口ずさめば、ほのかに自分の青春を振り返ることができる。初めてコンサートで歌った「夕暮れ時はさみしそう」が無性に歌いたくなる日々である。
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(水無月参日) 郵政民営化  


民営化論議については私は是非をつける気はないが、自民党の内部分裂についてはやはり一言申し上げたい。平成15年の総選挙で小泉首相の政策を支持したのであれば、今回の行動では当然自民党から離党すべきではないか。今度の参議院では特に比例区の議員は自民党の政策に対して票を得ているわけだから、反対というのでは論理に合わない。したがって離党というよりも議員バッジを外すというのが当たり前の行動ではないか。

こうした造反議員の処罰を先送りするようでは公約というのが、依然として名前だけということになる。そんな正論がまかり通らないことが日本の政治を駄目にしている主因なのだろう。

それにしても橋本派の造反議員が多いなかで、参議院自民党のドン、橋本派の青木会長に可決の成否が委ねられるというのも皮肉以外の何物でもない。
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(水無月弐日 小暑) 巡り合わせ  

7月7日の七夕だといって梅雨空を眺めても天の河が見えるはずもなく、このような季節行事は陰暦でしか表せないのになんとも世間のバカさ加減はどうにかならんもんですかね。

さて68年前の7月7日におこったのが蘆溝橋事件。これによって12年間にわたる戦争が始まった。この事件の真相は中国側の発砲から始まったのだが、その後の政策の誤りから日本は1945年の8月までの長い時を費やさなければならなかった。中国はこの事件を境にして被害者面をしているが、清朝崩壊以降内乱状態の中を外国勢に浸蝕されていった過程だった。

そんなきな臭い日が巡りめぐってロンドンで起こった。アルカイダの犯行といわれているが、始まったばかりのサミットを狙ってのテロというのは間違いないだろう。しかし、宗教戦争ともいえるこの戦いは絶滅できるものではない。一般市民が巻き込まれるというのは許せないものがあるが、テロにはそのような倫理観を要求したところで無駄なことだ。

しかしBBCを見ていると、日本のマスコミとは随分違った報道のあり方というものを見せている。ワイドシュー化した日本とは違って、プライバシーを重視した大人の報道だった。
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(水無月壱日 朔) 梅雨の晴れ間  

水無月になったというわけではないだろうが、午前中のいまにも雨が降りだしそうな空模様が午後には久しぶりの太陽も顔を見せた。腕時計の留め具の調子が悪く、なじみの時計屋に行って直そうとしたが、これは部品交換しないとまた駄目になりますよといわれ、取り寄せということになった。

ちょうど昼時だったので、以前の大阪在任時代よく通った小料理屋の看板が目に入った。経営者が代わっていたらちょっと嫌だけどと恐る恐る引き戸を開けると、懐かしい女将の顔が。。。実は数日前にあの人は今頃などこにおるんかねえという会話(まあ、額面どおり取っておきましょう、ははは)があったとの事で、すこしお年を取られたとはいえ、ボリュームある昼定食は変わっていなかった。

月曜日の東京の厨といい、この喜太八といい美味しい店を知っていて本当によかったとつくづく思う。この週末、京都から大阪に転勤になった同業の先輩と飲食することになっているので、誘ってみようかな。
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(皐月廿九日) 再検査  

土曜日にレントゲンを取った腎臓結石だが、今日は点滴で造影剤を流しながら詳細な撮影をすることになった。朝食抜きということですこし辛い時間をすごし、中津の病院に着いたのは11時。約1時間ほどかかって撮影は終了。診察室で写真を見ると、一つの石というわけではなく3つくらいの小さな石が固まっているようで、大きさは9ミリ。先生は腎臓の中心部にあるので大きくならない薬を出しましょうかというが、なくなるわけでもないので衝撃波による破砕が望ましいという。一泊二日の入院で済みますからというので、早速入院の手続をとってこの22日に入院することにした。幸い医療保険があるのでこの日程でも保険はおりる筈である。

愚妻に入院予定を報告し、今回は特段の問題もないのでさっさと済ませたいものだ。しかし、先生が言うには破砕の仕方が悪いともう一日延長もあり得るとの事。まあ、大丈夫でしょう。体の悪い部分は早く直さないと大変なことになるのは、例のヘルニアで身に染みているし。
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(皐月廿八日) 厨  

東京本社で法人担当者の会議があって、肌寒い東京駅に着いたのは昼前だった。すっかり変わってしまった東京駅の周辺の高層ビルを見上げながら、地下鉄で茅場町に向かう。ここも以前の株屋の看板が並んでいた時代がもう遠い過去のようで、すっかり元気を無くしたようで、雨に煙る町並みは沈んでいた。

時間があったので証券取引所に立寄って、立会場近くの閲覧室で時間を過ごす。持ち物検査など煩雑さからだろうか、ここは静かでなにかするにはとてもいいところなのだ。

5時前までの4時間あまりの会議ということで、長い会議となった。だいたい長い会議をするほどろくな会社はない。終わった後は少しも頭に残らず、ただ疲れだけが身体を支配する。夕方知人と会った後、まっすぐ大阪に帰ろうとしたが、意外に道路が空いていたので、一時間ぐらいだったら大丈夫だろうということで、江戸橋の「厨」へ。

本当に送別会以来の2年ぶりの不意な訪問にも笑顔で迎えてくれた塩田ご夫婦をみると懐かしさでほっとする。短時間ということで些か食べ急いだが、次回はゆっくりと美味しくいただきたいものだ。
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