(文月廿七日) CLOSE YOUR EYES  

久しぶりにシングルCDを買った。長渕剛が12月に公開される「男たちの大和/YAMATO」のために書き下ろした「CLOSE YOUR EYES」「YAMATO」である。8月11日の報道ステーションで、尾道にあるロケ現場の実物大の「大和」の甲板から歌っていたのをみてから気になっていた曲である。

今年の5月、広島に帰ったとき呉の「大和ミュージアム」で見たあの大和の美しい姿が眼に焼きつき、さらに東シナ海で散っていった兵士の写真が目に浮かんだ。自分達を守る飛行機もなく、片道航海という半ば自殺行為に世界の目は奇異に映るのではないだろうか。しかし、あの和やかな面影を浮かべる少年兵の写真を見ていたら、自然と涙が出てきた自分はおかしいのだろうか。

「大和」が最後の出撃に出たのは4月上旬である。母港呉から瀬戸内海、豊後水道と行く沿岸には日本の象徴たる桜が満開だったはずである。甲板から見えたであろうあの桜は乗組員にはどう見えたのだろうか。親兄弟を故郷に残し、先に去り行く自分を桜の花になぞらえていた人も多かったのではないだろうか。

東シナ海で散っていった何千もの兵士の慟哭は波間に消えていった。いま、平和ということが当たり前のこととして実感の湧かない現代人にとって、60年前のあの海の出来事をもう一度噛み締める必要があるのではないだろうか。大和には数多くの少年兵がいた。今の高校生と同じ年齢で死んでいった彼らの思いを長淵の歌とともに考えてみたい。
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(文月廿六日) オイル高値更新  

石油先物のWTIが70ドルの大台を超えてきた。たまたま大型ハリケーンがアメリカを襲来しているからという典型的な後講釈をするアホなメディアはともかく、価格が上がれば供給が増え、需給が均衡するはずだが、この原油市場はさにあらず、需要に追いつく供給は出て来ない。なぜか。供給に問題があるからというのが正解だろう。OPEC各国はサウジアラビアを除いて、現在の生産能力は限界に達している。インドネシアはいつの間にか輸入国になっているし、ベネズエラの政情不安はおさまっていないし、さらにナイジェリアの油井は錆だらけでどうしようもない。要はOPEC諸国の増産余地はほとんど無いのだ。余力のあるとみられるサウジも王政の維持のため、国内政情不安をかき消すためにも情報が操作されていると見たほうがいい。以前にシェル石油が自社の埋蔵量を35%も水増ししていたが、これが判明したのは昨年のことである。現に最大の産油国サウジはGhawar油田をはじめ、古い油田がほとんどで近年新しい大規模な油田は発見されてない。でもGhawarはたった一つの油田で全世界の7%の日量450万バレルというとてつもないものだが、この油田の発見は1948年というからこれにも驚かされる。

そもそも石油需要はここ百年の間で87年は増加している。残りの13年のうち、大恐慌、第二次世界大戦、朝鮮戦争があって、これが9年。そして1980年から83年にかけての、いわゆる第一次石油ショックの4年間だけなのである。つまり余程のことがない限り、原油需要は今後も増加するはずであり、ここに中国やインドという新興勢力が経済成長のため多量の石油消費に走っているのだから、この需要は衰えることを知らないはずだ。したがって数年後の原油価格は予想をはるかに超えるものになるかもしれない。

ここまでなると石油以外の代替エネルギーが真剣に検討されるかもしれないが、当面はどこにでもある石炭からか。あの中国でさえこれだけは自給できそうだし、何といってもコストが安くつく。しかし、エネルギー源の石炭は効率の面で大いに問題がある。案外、この辺に投資のヒントが隠されているのかもしれない。
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(文月廿五日) 秋の気配  

今日の朝ほど過ごし易い朝は今年の夏初めてだろう。その証拠に6月以来の乾燥注意報が関西地方に出されている。二泊した三人は今日広島へ向かう。いつもは10時近くでないと起きてこない次男が、6時過ぎには起きてきたのは、昨日の約束の確認だろうか、(^^)

普段は慌しく、さらにいやいやながらする朝の身支度も家族がいると苦にならない。家族とは本当にありがたいものである。東京に7年、さらにこちらでは事情があって昨年3月に、家族がバラバラになって久しいが、子供たちは問題行動も無く、それぞれ成長している。娘も自分の好きな事をして楽しんでいる。それをさせている愚妻に感謝感謝。駅に向かう私に窓から手を振ってくれる愚妻を振り返り、家族を幸せにするのが私の仕事と改めて心に誓う秋の気配がする朝だった。
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(文月廿四日) 六甲アイランド  

西宮北口にプールに向かう母娘を送っていった後は、次男と一緒に六甲アイランドに向かった。大学は関西でという次男の気持ちを汲んで、この地にある大学を見学しに行ったのである。JR住吉駅から六甲ライナーという無人運転の新交通システムで向かうが、終点のマリンパーク駅に今年オープンした大型プールがあるので、夏休み最後の日曜日を過ごす家族連れやカップルで混雑していた。そんな人の流れとは全く反対方向の海に向かう歩道橋から、その大学は見えた。手前の高校が立派なので、ちょっとこじんまりとしているが、次男は海辺にあるこの大学が好きなようである。残念ながら、今日はオープンキャンパスとはなっていなかったが、アメフト部が暑い中練習をしていたり、学生の姿もちらほら。

周囲を一周してもさほどでないが、カフェテリアはオープンテラスになっているようで、目の前の海に面しており、まるでリゾート地のホテルのようである。反対に北の方を見れば、海の手「六甲」の巨大なマンション群のかなたに、六甲の山々が屏風のようにそびえており、いかにも神戸らしい風景を見せている。関西に憧れをもつ次男には、この風景がなんともいえないようだ。親の都合で広島の島で寂しい高校生活をさせているのかと思うと、父親としてはなんとも情けない想いで一杯だ。行列が続くプールを尻目に西宮に帰るが、再来年の受験にはまた来なきゃなあと励ます。

夕方にはプールから帰ってきた母娘を迎えに行く。大ハシャギの娘もそうだが、愚妻も久しぶりに話が弾んだのだろう、いい笑顔をしている。「パパ、やっぱりこっちがいいわ。」といわれると、立つ瀬が無いが、娘は島の生活が一番らしいし、困ったもんだ、ははは。

夜は手馴れたことで、私が料理をつくるが、そんなに大した物ではなく、単なる肉の炒め物だ。それでも美味しいと云ってくれる次男はいじらしい。こんな楽しい日が二日も続いたので、この週末は本当に時間の経つのが早かった。楽しい時間はあっという間に過ぎていくものだ。
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(文月廿参日 下弦) GW以来の再会  

5月の連休に広島に帰って以来、愚妻と娘、そして次男とは会っていなかった。私の腎臓結石手術などあり、移動中に尿管結石になったらどうしようとか思っていたら、なかなか帰る機会が無かったということだ。

そんななか、娘の養護学校時代の先生から、神戸のプールに遊びに来ませんかという誘いに昨年に続いて、広島から3人が今日新大阪に到着した。久しぶりに見た子供たち、特に次男は随分逞しくなったように見えた。高校2年生になって、子供子供していたのがだんだん成長しているのかな。(^^)

新大阪から西宮に着き、一年ぶりに私と長男が住むアパートに向かう。お風呂大好きの娘はまだ日は高いが、さっそく浴室に駆け込む。大声を出しながら楽しんでいるようだ。このアパート、日中は私どもだけがいるので、どんなに騒いでも苦情がくることは無い。広島でも実家でストレスの無い生活をしている娘にとっては、ここも楽園なのかもしれない。(実際、夕方以前住んでいたマンションの近くを通ったときには、耳をふさいで、いやいやをしていたのだから。でも次男は通っていた中学校を懐かしいといい、やっぱり西宮がいいという。父親としては考えさせられます。)

夕食はアルバイトの長男を除いて、4人で神戸屋のレストランで久しぶりの家族での食事。二人とも食欲豊富であっという間に平らげていく。大きくなるわけだ。ははは。家族の食事とはこうも心地よいものかと改めて思った。楽しい週末だ。
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(文月廿弐日) 公僕という概念  

解散から投票日までが異例の長さになったのは、公明党の選挙準備不足のせいである。住民票の大量移動など過去いろいろな選挙対策をしたが、さすがにこの一策はこの準備期間では「そうはいかんざき」(^^)

しかし、改革改革と言われるが、何でもかんでも「上から改革」することが善であるわけがない。かといって現状維持で良いわけでもない。では何を変え、何を守ればいいのか。その答えというと、現場で(郵便局でも同じだが)利用者の過半が理不尽だと感じることは、できるだけ速やかに変えるということだ。これこそが国民主権という概念ではないだろうか。他力に依存せず、まず身近な小さな現場から変えていく、この積み重ねが重要なのである。

大臣や議員が、そして首長が好き勝手なことをやり放題という図式に終止符をうつべきであり、それでこそ国民主権を守る公僕たる所以である。今回の選挙で落下傘候補を批判する声もあるが、国会議員はその土地の利益を代弁するだけの存在であれば、もはや公僕とはいえないはずである。したがって公職選挙法では国会議員に対して、住所要件(3カ月以上にわたり住民票が立候補地域内にあること)を課していない。だからホリエモンもわざわざ住民票を変更したりするのは、たんなるパフォーマンスに過ぎないし、憲法第15条の「すべて公務員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」ということを全面的にいえばいいのだ。

もう一度繰り返すが、生活者として理不尽だという指摘に過半数が賛成ならば、その仕組みは速やかに正されなければならない。 
 
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(文月廿壱日) 司法の判断  

昨年5月、イラクで銃撃され死亡したフリージャーナリスト、橋田信介さんの妻、幸子さんと長男、大介さんが、米AIU保険に死亡保険金計750万円(はあ?という金額ですなあ)の支払いを求めた訴訟の判決が東京地裁であった。

柴田寛之裁判長は「事故は保険金支払いの免責理由である『武装反乱』に当たる」として、請求を棄却した。『武装反乱』、日本の司法は現在のイラク情勢を戦争状態にあると断定した。となるとイラク復興支援特別措置法に基づいている自衛隊の派遣は存立基盤を失うこととなる。

もっとも、自衛隊の実際の行動は航空自衛隊が米兵の輸送を含む占領軍兵站などの後方支援を担当し、対戦車砲や装甲車両を操る警備部隊もおり、この地区の治安を担当するイギリス・オランダ軍の兵站支援を含む後方支援活動を担当しているのも多数いるわけだから、占領軍の一翼を担っているのは一目瞭然である。そこを戦闘地域ではないという詭弁をつかう小泉に対して、仕方がないといって今のままにしておくのは、それこそ無責任な国民というほかない。今の自衛隊は違法行為をおこなっていることになるのだから。

泥沼のイラクをそのままにしていいのかという議論があるかもしれないが、そもそも入口が間違った論理で突き進んでいるのだから、民主党の主張のように年内撤退という判断がなされるのが当然だろう。

郵政民営化ということで、このような重要な司法判断を軽く扱っている日本のメディアというのは、何を考えているのだ!

それにしてもNHKというのは地震と台風となるとこんなに熱心に報道するのだろうか。そりゃ映像的には面白いかもしれないが、住民が知りたいのは「今」の台風の位置と勢力である、何時間も前の映像をみせられても時間の無駄じゃないか。ここにもマニュアルから抜け出せない組織の硬直化が垣間見える。
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