(文月六日) 時代錯誤  

郵政民営化法案否決、衆議院解散そして総選挙。マスコミはこぞって世論調査を紙面に、または画面に出している。各社各様だがおおよそ郵政民営化に賛成、小泉支持率上昇という結果だ。解散当日の記者会見の一発芸に騙されたという感が私はするのだ。

そもそも小泉が今までの首相と違って、いわゆる実行力があるように見えるのはなぜか。小泉は郵政民営化を公約の筆頭に掲げて自民党総裁選を勝ち抜いたことで、この公約を是とするかどうかを閣僚指名にあたって踏み絵にした。そして衆院では解散権をちらつかせて法案を通していった。人事権と解散権という本来首相に備わっていた権限をフル活用したのだ。

そもそも直接国民から選ばれる大統領と違って、首相には省庁の人事権がなく、議会に対する拒否権もない。しかし、実質的人事権を手に入れ、解散権をちらつかせて法案をごり押ししていった。これは独裁的手法ではあるものの、独裁ではない。

人事権もなく拒否権もない首相とは何か。いったい何ができるのだろうか。結果として従来の首相がそうであったように官僚にいいようにあしらわれるだけであった。したがって、首相が本来持っている権限を駆使しようとする小泉は実行力がある宰相だと認められているのである。

ところが、小泉は郵政民営化を自己目的にしてしまった。かつての郵政では何が問題になっていたかをもう一度認識すべきである。郵貯や簡保で集めた巨額の資金が財政投融資などで浪費され、特定郵便局が自民党の集票マシンになり(組合が民主党の集票マシンになっていることと表裏一体である。)、窓口や郵便配達のサービスの劣悪さ(公社になって多少良くなった気はするが)などが問題になっていたはずである。これらの問題を一つ一つ解決せず、民営化すればすべてよくなるという発想は、共産主義になれば地上の楽園が実現する、と信じる発想とまったく変わらないことに気付くべきではないか。

小泉の時代錯誤は、ここにある。ここをゴリ押しすると、もはや本物の独裁者となりはしないか。
0

(文月五日) 長崎の悲劇  

だいたい二番目というものは辛いものである。私は3人姉弟のおとんぼ。長姉に比べると何かと親の目が行き届かない次女の姉は、それが嫌だったのだろうか高校を卒業すると大阪の百貨店に就職していった。

広島に世界最初の原子爆弾が落とされ、その三日後、長崎にプルトニウム型の原爆が落とされたが、当初の予定地の小倉が天候不順で投下を断念されたのも長崎の悲劇というものかも知れない。いまでこそ広島と並んでほぼ平等に扱われているが、以前は広島に比べれば取り扱いは低かったのではないだろうか。

大学の時に長崎に旅行した際、浦上天主堂で原爆のよって破壊された石像を見たのが、長崎の原爆の印象だった。広島の原爆ドームのようなシンボルがないので、いまいち被爆地という実感が湧かなかったのも事実である。九州の人間にとっては、広島ばかり注目されるが、長崎だって大変な目にあっているのにという恨み節もあったのかもしれない。たまたま同日にソ連の参戦ということもあったことも終戦へのカウントダウンの年表で長崎は一歩引いた存在となっていた。

長崎が注目されたのは市長が天皇責任問題を取り上げて、右翼から糾弾された時ではなかっただろうか。いつの世も二番目というのはなかなか日の目を見ないものである。
0

(文月四日) 想像力の欠如  

大差で否決すれば首相も解散を躊躇するのではないかとの郵政民営化反対議員の思いをよそに、首相は即日解散に踏み切った。民営化を公約とした自分を総裁として選んだのだから、法案に賛成するのは当たり前という論理を意地になって押し通したともいえる。夜の記者会見では反対派を公認せず、賛成派の自民と公明で過半数を取れなければ退陣するとまで言い放った。メディアは自民の分裂選挙と囃すが、この男は本当に選挙に勝てると思っている。実際、先週の木曜日までは僅差で可決かというのが、一般的なマスコミの読みだったが、そうはいかなかったのが金曜日の中曽根氏の反対声明だった。これを機に反対派はなだれをうって増えていった。父親の怨念が背景にあったのは容易に伺える。

賛成派も反対派も相手の行動に対して、想像力が欠如していたのが、今回の解散騒ぎでないだろうか。想像力というと頭の中の働きと思いがちだが、そうとばかりはいえない。実際行動してみれば他者の痛みがわかり、見えないものへの想像が働かせられるようになる。想像力は感動体験とか生活感覚の中から生まれてくる。それが無い人に想像力を求めても無理というものである。

最近ドアに「向うに人がいるかもしれません。ゆっくり開けてください。」という紙を見ることが多い。これでは将来のドアは透明になるかもしれない。ささいな行為かも知れないが、これも想像力の欠如である。張り紙をしないと分からない政治というのも困ったものである。
0

(文月参日 立秋 八専終) 失語症  

障害というと自分には遠い存在と思っている人が多いだろう。私の娘のように先天性の障害児も多いが、意外に知られていないのが後天性の障害である。交通事故などで身体に障害を負った人はパラリンピックなどで目にすることも多い。しかし、脳卒中などで大脳の言語中枢が傷つき、会話や読み書きが不自由になる「失語症」の人は全国で約50万人に上っているのである。コミュニケーションが取れずに孤立しがちな人たちを支援するために、会話を手助けするボランティアの養成講座に参加している毎日新聞の記者の記事を見つけた。

企業戦士として長年働き、過労で倒れて失語症に陥った人に取材で会った彼は、それまで失語症という名前は知っていたが、軽い障害にしか思っていなかったらしい。しかし、その障害者が退職を余儀なくされ人生が一転したが、それでも前向きに生きようと言語訓練に取り組む姿に心を動かされたのが受講のきっかけだったらしい。

会話の基本は「ゆっくり、はっきり、短く」だが、講義と実習を重ねてもなかなか障害者に伝えられないもどかしさを嘆いていたが、健常者が障害を知るというのは難しいことなのである。
0

(文月弐日) HIROSHIMA  

あの日も暑かっただろう。太陽が落ちたとも云われた悪魔の光が炸裂したのは8時15分。その後におこった悲惨さは言葉では語れない。

私は昭和54年、いまから26年前に社会人としてのスタートを広島で迎えた。当時は新入社員として、カバンを持って一軒一軒訪問する日々が続いていた。二日酔いで平和公園のベンチで横になっていて、真っ赤に焼けた顔をして支店に戻ってきたこともあった。そんな中で今なお原爆症で苦しんでいる人たちを目にする機会も多かった。たまたま高校を卒業して支店で働いていた現在の愚妻の母親が原爆孤児であった。宇品で養母に拾われた幼子は、その後能美島で育てられ、義父と結婚し、その長女として愚妻は生まれたのである。被爆者手帳を申請するも証明する人がいなくて苦労していたが、私たちが結婚して10年ぐらい経った頃だったか、ようやく身内の人がわかり申請にこぎつけられた。さらに実母のお墓が見つかり、爆心地に近いお寺で法要をしたことを昨日のように思い出した。

北朝鮮が核をもち、アジアでは中国、インド、パキスタンと多くの国が核保有国となっている。核抑止力という言葉が先行しているが、世界では絶えず戦いが繰り返されている。ただ、いつも犠牲となるのは名も無き一般市民である。平和ボケになるのは見苦しいが、その平和は過去の犠牲者があってこそ成り立っているものである。一人を殺せば殺人者だが、無数の人を殺せば英雄となるという論理はいまだ存在しているようだ。人間の愚かさと言えばそれまでだが、この日ほど命の大切さを教えてくれる日もない。

0

(文月壱日 朔) 総選挙?  

旧暦では今日から7月文月である。それを待っていたかのようにふみ問題というか郵政問題が中曽根元文相の反対表明で、ステルス作戦でぎりぎりまで態度を明らかにしていなかった議員が続々と反対のコメントを出すなど、執行部にとっては可決がまず不可能な絶体絶命な状況になっている。

郵政民営化に執念を燃やす小泉首相は否決は不信任とみなし、衆議院を解散して総選挙に打って出るだろう。このままだと投票日は9月4日か11日。え?9月11日?小泉の自爆テロですなあ。しかし、どうでもいいけど広島県選出の柏村、なんであんなに太ったの?
0

(水無月参拾日) ワールド  

旧聞になるが、究極のM&A対策としてワールドが株式非公開に踏み切った。

ワールドを創業し、高収益を保ちながら成長し、上場までもっていった畑崎氏は1997年に社長を退任した。今回非公開を決めた現社長寺井氏にトップの座を譲る際は、畑崎氏は取締役にも残らず、あっさりと退陣し会社にも姿をあらわさなかった。(その後はVBに専念しているらしい?今回のTOBでも巨額のキャッシュを手にすることになる。)

寺井社長はそれまで中小の小売店にワールドの服を卸売りしていたビジネスモデルを大きく変え、この卸売り部門を縮小して、自社販売小売網を百貨店中心に増やし、製造小売業すなわちSPAに軸を移していった。昔からの従業員やワールドの親密小売先は悲鳴をあげ、中には畑崎氏に窮状を訴えるものもあったらしい。しかし、寺井社長はSPAを更に進め、多くのアパレルメーカーが往年の力を失っていく中で、唯一2000年代になっても最高益を更新する企業に成長させていった。この成功には前任者が残らずいなくなったという画期的な人事があったことは云うまでも無いだろう。

寺井社長は決算期ごとに株主からやいのやいの云われるのが嫌になったのだろう。短期的な株価変動に関心の高い株主が多くなり、そんな株主の相手なんかしちゃいられないというところだ。そもそも良い会社というものは、ちゃんと顧客を選んでいる。お客様は神様ですなどという言葉は本音ではないのだ。嫌な客がいなければ、上得意のお客さんをより満足させることができる。商売成功のコツは顧客の選別にあるといってもいいだろう。

実際、ワールドは自社製品の販売先を卸から直販に変え、客先を選択し直した。さらに従来年配の女性がターゲットだったのを、若い女性に乗り換えていった。このようにワールドは顧客コミュニケーションには大成功したわけだ。

だから、自社の株主も選別したかったのだろう。一般に良い会社は長期投資家が多い。でもワールドは資本市場の長期投資家づくりには失敗したようで、株主とのコミュニケーションは下手だったということだろう。天は二物を与えずということか。
0




AutoPage最新お知らせ