(文月弐日) HIROSHIMA  

あの日も暑かっただろう。太陽が落ちたとも云われた悪魔の光が炸裂したのは8時15分。その後におこった悲惨さは言葉では語れない。

私は昭和54年、いまから26年前に社会人としてのスタートを広島で迎えた。当時は新入社員として、カバンを持って一軒一軒訪問する日々が続いていた。二日酔いで平和公園のベンチで横になっていて、真っ赤に焼けた顔をして支店に戻ってきたこともあった。そんな中で今なお原爆症で苦しんでいる人たちを目にする機会も多かった。たまたま高校を卒業して支店で働いていた現在の愚妻の母親が原爆孤児であった。宇品で養母に拾われた幼子は、その後能美島で育てられ、義父と結婚し、その長女として愚妻は生まれたのである。被爆者手帳を申請するも証明する人がいなくて苦労していたが、私たちが結婚して10年ぐらい経った頃だったか、ようやく身内の人がわかり申請にこぎつけられた。さらに実母のお墓が見つかり、爆心地に近いお寺で法要をしたことを昨日のように思い出した。

北朝鮮が核をもち、アジアでは中国、インド、パキスタンと多くの国が核保有国となっている。核抑止力という言葉が先行しているが、世界では絶えず戦いが繰り返されている。ただ、いつも犠牲となるのは名も無き一般市民である。平和ボケになるのは見苦しいが、その平和は過去の犠牲者があってこそ成り立っているものである。一人を殺せば殺人者だが、無数の人を殺せば英雄となるという論理はいまだ存在しているようだ。人間の愚かさと言えばそれまでだが、この日ほど命の大切さを教えてくれる日もない。

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