(文月五日) 長崎の悲劇  

だいたい二番目というものは辛いものである。私は3人姉弟のおとんぼ。長姉に比べると何かと親の目が行き届かない次女の姉は、それが嫌だったのだろうか高校を卒業すると大阪の百貨店に就職していった。

広島に世界最初の原子爆弾が落とされ、その三日後、長崎にプルトニウム型の原爆が落とされたが、当初の予定地の小倉が天候不順で投下を断念されたのも長崎の悲劇というものかも知れない。いまでこそ広島と並んでほぼ平等に扱われているが、以前は広島に比べれば取り扱いは低かったのではないだろうか。

大学の時に長崎に旅行した際、浦上天主堂で原爆のよって破壊された石像を見たのが、長崎の原爆の印象だった。広島の原爆ドームのようなシンボルがないので、いまいち被爆地という実感が湧かなかったのも事実である。九州の人間にとっては、広島ばかり注目されるが、長崎だって大変な目にあっているのにという恨み節もあったのかもしれない。たまたま同日にソ連の参戦ということもあったことも終戦へのカウントダウンの年表で長崎は一歩引いた存在となっていた。

長崎が注目されたのは市長が天皇責任問題を取り上げて、右翼から糾弾された時ではなかっただろうか。いつの世も二番目というのはなかなか日の目を見ないものである。
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