(文月六日) 時代錯誤  

郵政民営化法案否決、衆議院解散そして総選挙。マスコミはこぞって世論調査を紙面に、または画面に出している。各社各様だがおおよそ郵政民営化に賛成、小泉支持率上昇という結果だ。解散当日の記者会見の一発芸に騙されたという感が私はするのだ。

そもそも小泉が今までの首相と違って、いわゆる実行力があるように見えるのはなぜか。小泉は郵政民営化を公約の筆頭に掲げて自民党総裁選を勝ち抜いたことで、この公約を是とするかどうかを閣僚指名にあたって踏み絵にした。そして衆院では解散権をちらつかせて法案を通していった。人事権と解散権という本来首相に備わっていた権限をフル活用したのだ。

そもそも直接国民から選ばれる大統領と違って、首相には省庁の人事権がなく、議会に対する拒否権もない。しかし、実質的人事権を手に入れ、解散権をちらつかせて法案をごり押ししていった。これは独裁的手法ではあるものの、独裁ではない。

人事権もなく拒否権もない首相とは何か。いったい何ができるのだろうか。結果として従来の首相がそうであったように官僚にいいようにあしらわれるだけであった。したがって、首相が本来持っている権限を駆使しようとする小泉は実行力がある宰相だと認められているのである。

ところが、小泉は郵政民営化を自己目的にしてしまった。かつての郵政では何が問題になっていたかをもう一度認識すべきである。郵貯や簡保で集めた巨額の資金が財政投融資などで浪費され、特定郵便局が自民党の集票マシンになり(組合が民主党の集票マシンになっていることと表裏一体である。)、窓口や郵便配達のサービスの劣悪さ(公社になって多少良くなった気はするが)などが問題になっていたはずである。これらの問題を一つ一つ解決せず、民営化すればすべてよくなるという発想は、共産主義になれば地上の楽園が実現する、と信じる発想とまったく変わらないことに気付くべきではないか。

小泉の時代錯誤は、ここにある。ここをゴリ押しすると、もはや本物の独裁者となりはしないか。
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