(文月壱拾弐日) 教えるということ  

大村はま著 ちくま学芸文庫

先日教師のレベル低下が著しいということが新聞紙上を賑わしていた。そんな職業意識のない教師がもう一度読むべき本ではないだろうか。でもこのとても教師に厳しい本を素直に受け入れられる者がいるだろうか。新聞の教育欄でしたり顔であれこれ言う評論家は所詮は自分の都合の悪いところは目に入らないのだろう。

教え子の心に残る教師が理想とされるが、プロの教師は「私のことは忘れてほしい」と思っているとまで言い放つ。そのたとえが仏様の指という話である。

「仏様がある時、道端に立ってらっしゃると、一人の男が荷物を一杯積んだ車を引いて通りかかった。そこは大変な泥濘であった。車はその泥濘にはまってしまい、男は懸命に引くけれども、車は動こうともしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても、どうしても車は抜けない。そのとき、仏様はしばらく男の様子を見ていらしたが、ちょっと指でその車をお触れになった。その瞬間、車はすっと泥濘から抜けて、からからと男は引いて言ってしまった。」という話である。

こういうのが一級の教師である。男は御仏の指の力にあずかったことを永遠に知らない。自分が努力して、ついに引き得たという自信と喜びとで、車を引いていったのだ。生徒に慕われるというのは二級か三級である。一人で生きていく力、生き抜く力をもった人間を育てるのがプロの教師というわけだ。「でもしか」先生には夢のまた夢の話だろうが。
0




AutoPage最新お知らせ