(文月壱拾参日) 最後の一年  

49歳になった。父親のこの年の事を思い出した。もう梅雨が明けようかという日だったが、その日も雨が降り続いていた。農業の傍ら、型枠大工としての仕事もしていた父がたまたま親戚の棟上を手伝っていた。前日に私の進路のことで大喧嘩をして、私は父の期待とは別の文系の道を選んだ。初めて父の涙を見た日だった。

日頃は何事も慎重な父だったが、昨夜の喧騒が頭の片隅にあったのだろうか。濡れた足場で地上十数メーターの高さから落下した。一度シートにひっかかったに見えたが、体重を支える力はなかった。すぐに救急車が呼び、父を病院に搬送する。救急車の中では泣くしかなった私だった。どす黒くなった頭が痛々しかった。35年前ということで、当時の医療技術では手の施しようがないと医師に云われた。頭蓋骨骨折と脳内出血と肋骨5本複雑骨折だった。私の家族は神に祈るだけだった。

奇跡は起こった。出血が割れた頭蓋骨から表面にでて、脳を圧迫しなかった。その結果、目立つ後遺症は左耳が聞こえないことぐらいだったが、健康すぎるほど健康だった父は自分の思うようにならない身体で、いらいらすることが多く、大学で山口に行った私はよく知らないが、家の中は大変だったようだ。

国立は無理だろうといわれた私だったが、人生であの半年間ほど勉強した時はなかった。親が入院して、金銭的に苦しい中、金のかかる私立にはいけない。何とか京大がターゲットとなったが、浪人するわけには行かないので、阪大を選んだが、残念ながら4点差で不合格となった。予備校の準備をする同級生を尻目に、田舎の二期校に行かざるを得ない自分が嫌になっていた頃だった。

当時、私の家系で男は50歳以上で生きた者はいなかった。そんな矢先の父の事故だった。自分があの頃の父親の年になったのかと感慨深い。人生の節目の50歳までの一年。どれだけの足跡を残せるだろうか。
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