(葉月九日) 海援隊と三菱  

海援隊といえば坂本竜馬。だが、これは竜馬の出身、土佐藩の資本が入ってきたので改名したものだ、それ以前は「亀山社中」だった。そして土佐の資本が入ってきたのと同時に、今の銀行が不振会社に役員を派遣するように、海援隊にやってきたのが、三菱の始祖「岩崎弥太郎」である。実は三菱財閥の原資は竜馬が作ったものだ。

海援隊が持っていた船に「いろは丸」という船があった。この船は伊予大洲藩を株主に抱き込んだ際に、この藩が持っていた船を借りて内海貿易をやろうとしたものだ。ところが、この船が瀬戸内海の讃岐沖で紀州藩の船にぶつかって沈んでしまった。竜馬はすぐさまこの紀州藩の船に乗り込み、航海日誌を確保した。そこには船長も当直士官もいなかった。これは完全に紀州藩のミスである。竜馬はこの日誌を懐に長崎で海事裁判をやったのだ。当時の日本では海事裁判など定着していなかったが、長崎の外国人を抱きこんで御三家の紀州藩を訴えたのだから、もう江戸幕府の権威もくそもない。

この裁判、結局紀州藩が負けて、賠償金83000両を支払いことになった。ところが、この支払いが確定したとき、竜馬はこの世にいなかった。そしてその金をもらったのが岩崎弥太郎である。幕末、土佐藩は借金だらけで、土佐藩の財産である海援隊と大坂藩邸をくれれば、藩の借金を自分が払うという約束を土佐藩の家老、後藤象二郎と約束したのである。

岩崎家の家紋は三階笠だったが、土佐藩の三つ柏を単純化するとあの三菱マークになる。弥太郎は土佐藩の財産を相続したわけだから、土佐藩の紋章を何らかの形で残したのではないだろうか。
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