(葉月壱拾日) 鰹座橋  

昨日、なぜ海援隊と三菱の話を書いたかというと、大阪市西区で仕事をしていた時に西長堀で、交差点の名前が鰹座橋になっていたからである。土佐藩の大坂藩邸はそこにあったのである。すぐ近くには白髪橋交差点という地名もある。この白髪というのも珍しいが、これも土佐のヒノキや杉の産地で有名な白髪山から名づけられたものである。

天下の台所だった大坂は各藩が経済の集積地として大きな役割を果していた。土佐藩の大坂藩邸も長堀通りがまだ川だった頃には、岸辺に倉が建っているという風景だったのだろう。そんな大阪もすっかりワンノブローカルになってしまい、往年の栄華をしのばせるものは少なくなってしまった。さらに企業の東京集中で北浜など、バブル崩壊もあって居酒屋など空席が目立つばかりだった。ところが、最近の株の上昇からか、あの寂れていた北浜でも飲み屋で席がないことがしばしば見られるようになったという話を聞いた。

東京ではもう当たり前の話なのだろうが、ようやく大阪もデフレ脱却の機運が見え始めたようだ。今日うかがった会社の社長も、大阪商人らしく昨年ぐらいから土地を物色していて、短期間に意外な値上がりを得たらしい。人間、心が豊かになることはなかなか難しいが、懐が暖かくなると自然と顔が緩むものだということを実感する。
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