(長月廿壱日 霜降) 記憶の彼方  

世間は日本シリーズや競馬の三冠馬など騒がしいが、一年前に中越地震が起こったことは記憶の彼方になってしまっているようだ。さすがに災害報道を自負するNHKなどは特別番組を編成しているが、世間の関心は薄いといってもいいだろう。人間というのは残酷な動物で人は不幸になった時、思わず自分と比べて下に人がいれば救われてしまう。所詮は競争動物が正義をかざして仮面を被ることに自己満足をするものである。新潟という地方であったがために、被害が阪神ほどでもなかっただけである。遠くは関東大震災もやられたのは東京だけであって、太平洋戦争で全土が空襲を受け、日本中が焼けてしまった。関東大震災の復興というのは民間が主体でおこなわれたが、戦後は東京だけじゃなかったので復興は官に頼った。それが団地の増長を生み、あの狭いウサギ小屋の原型となったのである。

死者の数で災害の大きさを決めてしまうことよりも、人が多く住んでいる地域での災害が重要視されるのは、阪神大震災の二ヵ月後にサリン事件が起き、すっかり地震のことは忘れ去られてしまったことで経験済みだ。日本社会の二極化が進む中、都会と田舎の情報格差はますます広がっている。一年後の新潟の実態は予想よりもはるかにひどいものだ。阪神の場合は民間住宅はともかくとして、インフラの復興は素早かった。関西の機能が回復しないと困る人間が多かったせいだろう。人口密度の低い地方はそのままである。公共事業への否定的な考え方がますます復興を遅らせることになる。生まれてきたところで人生が決まってしまうことに対して、自己責任を声高に叫ぶ輩はどう答えるのだろうか。
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