(師走壱日 朔) 大晦日  

昨年の晦日は病院でむかえていた。たしか寒気のせいで雪が広島にも積もっていた。今年はそれを上回る寒波の影響で各地の雪害がつたえられている。暖冬という気象庁の当初の予想を嘲笑う自然の脅威に対して人間のできることはあまりにも小さい。

さいわいこの広島では先日の雪の影響もなく、穏やかな陽光が降り注ぎ、瀬戸内の海面を照らしている。娘の借りているビデオの一旦返却時期がきているので、愚妻と三人で広島呉道路経由で宇品に向かい、更新をしたついでに「亡国のイージス」を借りる。まず映画化は無理だろうといわれた作品だったが、防衛庁の協力で製作にこぎつけたのだろう。しかし、この手の作品を二時間あまりで表現するというのは難しい。原作を読んでいるだけに、カットしすぎだろうという箇所が目立つがこれも仕方がないところか。

矛盾にみちた自衛隊をなんとかしたいという思いが今の防衛庁にあるのかどうかは知らないが、表に出ようとする意思はよく見える。潜水艦部隊のある呉を日々通るにつけ、身近な存在としての自衛隊を印象付ける看板が目立つ。大和のふるさとと大書された元海軍工廠あとの石川島播磨のドッグは久しぶりの好況でクレーンが林立している。呉港近くの「大和ミュージアム」は今上映されている映画の影響もあって、今日も多くの見学者で周辺は車の渋滞が続いていた。

今のような日本になるために我々は犠牲になったのではないという叫びが聞こえそうな気がした大晦日の夕暮れだった。
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(霜月廿九日) 大納会  

4割もの上昇相場となった今年の日本株市場も今日で納会である。昔は市場いっぱいの場立ちの一斉の手拍子で活気あふれた光景を経験しているものにとって、最近の取引所の有様はいささか寂しい気もするが、それも時代の流れだろう。しかし、その電子システムで不祥事が繰り返されるのも皮肉なものである。

最後の最後でも上司と諍いがあって何とも納得のいかない年末だが、顔を会わさなくてもすむということが心の安らぎになるものだ。親会社におんぶにだっことという致命的な欠陥に対して、自己判断をすることもなく流れのままに済ませている逆回転はいつ起こるかわからない。商品開発にうつつをぬかし、発想の転換をできない組織ほど怖いものはない。

頭のなかを空っぽにして帰り支度を済ませ、家に帰り着替えをして広島に向かう。夕方になったので少し混雑が緩和されたかと思ったが、新幹線の混雑は予想以上。京都で最後に乗り込んだと思われる子供連れの母が降りる客のために一旦車外に出ようとするが、ベビーカーの車輪が引っかかって上手く出られない。先頭に立っていた私も少し手伝ったが、この混雑で二人連れはきついだろう。そうこうするうちに新神戸について席が空くと、近くにいた初老の人がデッキにいたその母子に声をかける。普通なら席に座ってしまうだろうに、久しぶりに日本人の親切というものを目にした。すっかり機嫌のよくなった赤ちゃんの笑顔が車内を明るくしていく。いい光景だ。
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(霜月廿八日) 年金基金の思惑  

年末モードのこの時期は法人関係は年末挨拶だけが仕事という雰囲気だが、取引先から一昨日電話があって、ちょっと相談したいことがあるのですがと云われると、街ゆく車も少なくなった谷町へ出かけていく。(あのタニマチ発祥の地である。)

運用の件かというこちらの思惑とは別に、自社で運用を委託している年金基金に対して、運用委託先の信託銀行から運用資産の商品構成の変更を打診するプランが出され、私の意見を聞きたいとのことだった。

あくまでも私見ということで勘弁していただいて話を進めることにした。今までよりも株式の比率を上げて、5段階では一番リスク度が高くするというプランにしたいということだった。リスクリターンの説明から始め、こういう仕事は信託銀行がする仕事だろうと思いながら、将来の商売のためということで淡々と年金の運用とはという説明を続ける。

しかし、中小企業の年金運用の曖昧さというかいい加減さを認識するが、結局は人任せであり、責任の所在が不透明になっているのを改めて知った。この担当者も上司に言われて、身近な業界人に聞いておいて上司に説明しようという魂胆なのだから、こちらもそれなりに対応することにしないと後でえらい目に遭いかねない。

株式運用の比率を上げるということは今年よりも来年の方が資金効率がいいという判断なのだろうが、4割も上昇した相場が来年も続くという予測が成り立つ納得のいく説明はなかったようで、さらに外国株式比率も上げるというのにどの国にという説明もなかったようだ。分厚い資料を置いてさようならということかな。まあ、結果がよければ誰もがハッピーという自然体なのだから仕方がないか。

株式という資産が年金基金の運用向上に役立ったという成果が本当に久しぶりに表れたということで、機関投資家の戸惑いが見られるようだ。下げ相場しか経験のないファンドマネジャーにとって今年ほど青天の霹靂のような相場はなかっただろう。将来は過去の延長にあるというだけではこの世界は飯を食えないことに来年末には気がつくのではないか。
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(霜月廿七日) 挨拶回り  

官公庁の御用納めもあって街の雰囲気は年末モード一色である。月曜火曜と最後の案件にかかっていたので、ほとんど挨拶回りも出来なかった。特に昨日はそうした挨拶周りで大阪の道は大混雑で、同僚も帰りが遅い。今日もそうなるとあまり廻れないかと思いつつ、車を運転していたが、結構ついているのか、訪問先は余りこんでいなくて、スムーズに訪問を重ねる。さすがに最高値で終わっている日だけに行く先々では、顔もほころぶといったところだが、こうした株価水準は「想定外」だったはずで、うれしい誤算といったところか。

しかし、昔は官公庁と同じくこの日に大納会があって、いっぱい引っ掛けて帰宅するというのが通例だったのが、週休二日制の確立とともに銀行業界との並びで30日が大納会になったわけで、その頃は銀行Vs証券という対立の構図が明らかだったが、最近は業績回復した銀行の勢いがますます強まっているし、証券はネット勢に押し捲られているというのが現状である。

そもそも高額な手数料体系に守られていた旧勢力は合従連衡を繰り返し、合併会社のもとを辿れば20社ぐらいありそうな会社も出現している。所詮証券会社というのは資源は人材だけであり、どれだけそのキャパを効率よく確保するかにかかっている。いまだ総合証券を目指すというのもスモール○○だけという方針を掲げている事自体が時代錯誤ということを本気で考えている経営者が、あまりに少ないのも人材不足というだけの問題ではないような気がする。

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(霜月廿六日) 朝日は沈む  

今日の朝日新聞の一面に「読者のみなさまへ」という記事が掲載されていた。なぜ一面にと思ったのだが、そういえば田中長野県知事への架空取材事件があったなあ。しかし、目玉が「編集局長2人制」とは。この国の無責任体制は徳川幕府の複数老中制度に由来するというのは極論かもしれないが、複数の責任者制度からは、責任の所在を曖昧にすることであり、朝日の好きな「過去の謝罪と反省」からは生まれてこないはずだ。

そもそも今回の制度改革に自信があるならば、「社告」として発表すべきだろうし、信頼回復への抜本改革とは名ばかりの美辞麗句が続くばかりだ。とはいえ、あれだけ世間を騒がせた海老沢前NHK会長を系列の研究所に迎え入れるという「快挙」をした読売といい、紙面では正義感ぶっているが、本音の部分では似たり寄ったりだ。

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(霜月廿五日) 大増税  

郵政民営化で圧勝した小泉内閣はアホな国民をしっぺ返しするかのように大増税に踏み切ろうとしている。辻褄合わせの国債発行額30兆割れというが、借金が減ったわけではない。全国で唯一借金を減らしたのは、長野の田中康夫だけである。しかし、信濃毎日新聞をはじめ田中おろしに熱心な勢力はそうした事実には目をつぶり、好き嫌いだけで首長選びをしようとしているのは笑止千万である。

しかし、それにしても児童手当の財源でタバコを増税するという安直な思考は何とかならないか。別に喫煙者でもないのでタバコが値上げされることには賛成も反対もないが、この財源作りだけは納得がいかない。そもそも児童手当が小学6年まで延びていくら効果があるのだろうか、教育費は高校大学で極大化するという当り前のことが何の議論もされない政治家の頭の中を見てみたいものだ。これこそ「子供騙し」である。
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(霜月廿四日) ES細胞  

卵子細胞を使ったクローン動物と違って、体細胞から万能細胞であるES細胞が作製できれば、もう脳死からの臓器摘出は必要がなくなり、医療が飛躍的に向上するとの触れ込みだったような気がするが、とんだ捏造騒ぎで、あの旧石器時代騒ぎの「神の手」を思い起こさせる。日本では科学誌が壊滅状態なので、ES細胞といってもちんぷんかんぷん状態だが、隣の韓国や豪州、欧米では盛んに取り上げられていた。

しかし、こうした研究をする人がよく口にするのが「難病」という大義名分で、難病患者を救おうと声高に叫んでいる。しかし、実際は、亡くなったペットのクローンを作ったり、金持ちの寿命を長引かせたり、美容整形というか生前整形といった「カネになる医療」に向かうものだ。

おまえは難病になったことがないからだといわれるかもしれないが、知恵遅れの娘を持つ親として一言申し上げたい。人生とは与えられた運命の中で精一杯の努力を重ねていくことではないだろうか。何事も失うことを怖がる人々を見ていると、私はとても卑しい人種としか思えてならない。
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