(霜月壱拾四日) 仰木死す  

かねてより闘病中であった仰木前オリックス監督が先程亡くなったとTVが報じている。突然の訃報で80年代から90年代にかけてのパリーグの最大の功労者の姿が走馬灯のように思い出される。88年の川崎球場の「10.19」のダブルヘッダーは阿波野が高沢に同点本塁打を打たれ、悲願の優勝はならなかったが、翌年は見事優勝を成し遂げた。しかし、日本シリーズは3連勝したが、あの加藤の暴言で読売ナインを発奮させ、その後の4連敗で西本監督以来の悲願の日本一はならなかった。

しかし、独特の投法だった至宝、野茂を育て、オリックス時代には無名の鈴木一朗をICHROとして売り出し、7年連続首位打者という金字塔の基礎をつくった。その間に起こった阪神大震災の95年には「がんばろうKOBE」でパリーグ制覇を成し遂げ、その年は野村ヤクルトに苦杯したが、翌年読売を圧倒し、近鉄時代に出来なかった日本一の栄冠に輝いた。その後は解説者として悠悠自適だったが、昨年の近鉄・オリックスの合併ではその初代監督にふさわしく就任したが、往年の精悍さは影を潜め、70歳の年齢を感じさせた。

むかし、久米宏がNSをやっていた時、パートナーの小宮悦子を番組中に口説いていたという逸話や、私が東京にいたときはよく銀座で見かけたものだったように、結構お盛んであったようだ。高倉健と同窓の福岡、東筑高校出身で、甘いマスクは西鉄時代から女性にもてもてだった。しかし、パリーグ一筋で昨年野球殿堂入りも果たし、大阪のホテルでおこなわれた祝賀パーティーでは、野茂やイチローもアメリカから駆けつけていた。思えば、あれが生前葬だったのかもしれない。
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