(霜月壱拾六日) 映画→TV→IT  

映画の全盛期だった1950年代にTVという新しいメディアが出現した。当時の映画人はTVのことを「電気紙芝居」と揶揄して馬鹿にしていた。初期のTVの世界に身を投じた人は、映画や芝居で食べられなかった人達が中心だった。初期のTVは録画が出来なかったので全て生放送、すなわち編集が出来なかったので洗練されたものではなく、様々な失敗があったので緊張感があった。その完成度の低さを映画人は馬鹿にしたが、TVの人達は頑張ってTV全盛期に向かっていった。

いつの時代でも「新しいこと」が興る時、前の時代の人達は自分達が「本線」で「新しいこと」を「いかがわしい」と思うものだ。でも「新しいこと」に挑戦する人達が歯を食いしばって時代を切り開いていったのである。ところが、その「新しいこと」に挑戦した人達の後継者は必ず「古い人」になるのである。

ライブドアや楽天がTV局にこだわるのは、ソフトである「放送番組」だろうが、自分達で「新しいこと」「新しいもの」を作ったほうがいいのではないだろうか。「新しい」インターネットやブロードバンドの環境は、「新しい」コンテンツを作る人にチャンスを与えるはずである。作りたいテーマがあり、それを成し遂げる技量があれば、完成させて、見てもらい、聞いてもらう、そうした環境が出来たことがインターネットの意義ではないだろうか。

今のままでは、三木谷や堀江の後継者が「古い人」になるのではなく、「新しいこと」に挑戦している本人達が「古い人」になってしまうというのが、彼らの言うドッグ・イヤーのような気がしてならない。
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