(霜月壱拾七日) シニアたたき  

15歳の天才少女がオリンピックに出られないようで、世間のおじさんたちは可哀相だ、出場できるようにスケート連盟は動くべきだと朝から騒いでいる。最近の日本は特に女性のスポーツ活躍を背景に、若者におもねる空気が強く、人生において10代が最も輝かしい年代であるかのように思わせている。それに比べ、シニアの人々は自分を発散する術も知らず、ただ溜め込んでいるだけのように見える。若者が社会の中心で大人が肩身を狭くしている社会は世界でも日本ぐらいだろう。

欧米の盛り場に行けば、壮年期の人々が堂々と会話や食事を楽しんでいる。経験や収入があり確固たる信念を持ったシニアがいて、社会のバックボーン(背骨)をなしているが、日本ではそれが見えない。確固たる背骨は経験や信念の裏付けがなければできるものではない。豊富な人生経験の中からこそ、真の価値観というものが生まれるものだ。

シニアが頑張りすぎると「老害」ではないかといわれることが多い。老害という概念は若い人だけ構成される社会のものであり、シニアの居場所を確保している社会ではありえない。アメリカのシリコンバレーでは、多くの若者がベンチャー企業を興しているが、背後には経験豊富なシニアがいることが多く、企業経営をバックアップしている。

確かに日本のシニアは組織を離れると急速に若さを失い、活気が見られなくなる。それを防ぐには現役時代から自我を豊かにする生活習慣を身につけ、自分自身の楽しみを見つけておかなければならない。会社を辞めても変わらない自分をいかに作り上げておくかが大事である。
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