(如月壱日 朔) ふと感じたこと  

金メダルを取った荒川の凱旋帰国がTVで報じられている。いい顔だなあ。彼女の夢の達成の原動力は何だったか。彼女は感動を与える演技がしたいといっていた。人それぞれかもしれないが、感動や夢の本質は何かの壁を乗り越えること、つまり否定である。正確に言えば不安を消し去ること、相手に勝つかもしれないという不安を否定することである。こうして得られた夢の達成が進歩なのだ。荒川の今日の表情は金メダルを取る前の顔とは全く違う。これが人間の進歩である。

彼女はオリンピックを前にして、現状を否定し、次の夢を追った。否定を本質にもつという意味では「判断」もそうである。そもそも自分の演技に意見を述べるという行為は、そのコアに何らかの否定がなければ意味がない。全面的な肯定や異見ではない意見など、ただの提灯持ちであり時間の無駄である。自分の演技に対して、評価や判断を下すということは、何を否定し何を肯定するかという問題に帰着する。荒川の場合、「イナバウアー」という演技がその一例である。あの演技が始まったときの観客の歓声をあなたは耳にしたであろう。

否定の群れのなかから得られた肯定を、私たちは「選択」といっているはずである。その選択の総和が人生であるといったら大袈裟だろうか。選択の難易度は人によって異なり、その方向も違うのは当たり前である。だからこそその人の人生があるのだ。
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(睦月参拾日) 国会議員の調査力  

「ガセネタ」といわれるような質問しか出来ない国会議員の調査力とは何なのか。歳費+文書交通費+期末手当+政党助成金で年額4000万以上あるし、これに加えて公設秘書3人の給与+立法事務費65万円(月額)のコストを一体どのように考えればいいのだろうか。企業であれば完全な倒産状態だ。

国会議員の仕事は何か。本質的には立法である。(教科書にも国会は立法府と書いてあるじゃないか)政府与党は主に予算と政策の立案のためであり、野党は少なくともそのチャックのために存在しているはずである。両者に共通する議員の力は、集金力でもなく、恫喝力でもなく、陳情吸収力でもなく、何といっても「調査力」である。

しかし、国会図書館議員閲覧室の利用者は何人いるだろうか。驚くなかれ、年間延べ400人を下回る数である。週に一度利用する議員が7人ほどいればこの数字になってしまうのだ。あいつらは何をしているのか。両院の法制局や各委員会の事務局、調査立法考査局ほか優秀な館員がいるので、彼らに調査の「丸投げ」も可能なのである。自ら調査する能力もない者が、鋭い質問を練り上げることなど不可能なのが当たり前なのだ。
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(睦月廿九日) 日本選手権  

雨降る秩父宮ラグビー場は最近の不人気もあって、人がいるのはメインスタンドだけで、雨が降ろうが雪が降ろうがゲームをするラグビーにとっては最悪のコンディションだった。そのなかで湯気を上げている選手の奮闘には敬意を表するし、外部者がいろいろ言っても関係ない話だろうが、この程度の試合では世界では通用しないだろう。

とにかくボールを動かすというゲームの基本が無いし、足元の悪さもあって足が止まっている選手がほとんど。これではすぐにタックルされるし、見ていても面白くない。雨だからキックが主体になるのは仕方が無いが、それにも単に蹴っているだけで戦略のかけらもない。

ともかく日本一を争う試合があのような状態のグラウンドでしかできないということは日本のラグビーに将来は無いということだ。
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(睦月廿八日) 訴えてやる!  

腎臓結石で入院手術したのは昨年夏。一応石は二つに割れ、尿管を下に下りてきたのだが、膀胱手前で止まってしまい、再度衝撃波手術を受けたが、これが全く効果なし。病院を変えようと思い、昨年お世話になった愚妻の実家の近くの病院を訪ねたところ、広島の病院を紹介してくれ、今日は朝早くから新幹線で広島へ向かった。

9時から始まった検査は昼近くまでかかった。何度もレントゲンを撮り(造影剤を点滴してから)石の大きさと尿管と膀胱の状態を確かめていく。最後には手術可能かどうか心電図とエコーをとるが、ここで問題が生じる。腹部の脂肪が厚いのは仕方がないのだが、例のヘルニア手術でおこなったシートが邪魔になるのか石の位置がエコーで確認できない。これでは衝撃波が効かないという。

え!大阪の病院ではヘルニア手術箇所の問題はほとんど無いっていってたのに。ここ広島の病院いわく、大病院では結石は命に関わる病気ではないので若手の下手な医者がやることが多くて、ほとんど素人同然の治療しかしない。私の場合も現在の石の位置では結構難しく、もっと上のところでするのが常識だという。この先生のことを信じれば、済生会中津病院の処置は完全に医療ミスではないのか。無茶苦茶腹が立っている。
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(睦月廿七日) 頂点への執念  

早朝のTV中継に釘付けになった。SP3位の荒川がコーエンのように転ぶなよと念じつつ見ていたが、実に美しい演技をしたことで、会場はスタンディングオーべーションの歓声に包まれていると、NHKの刈谷アナは伝えていた。目に余る大袈裟な表現を控え、解説の元世界チャンピオン佐藤有香さんの解説も秀逸で「君が代が聞けるんですね・・・」と感慨深く呟いたのはこれまでの白人独占という女子フィギュアの歴史を変える快挙だったからだろう。あの日本に対して辛口の中国新華社も速報で荒川の金メダルを称えている。アジアで初の快挙というのは日本で考えている以上に世界では注目されることだったということか。

10代の台頭で特に今回出場できなかった、金メダル確実といわれた浅田真央の後塵を拝しつづけた荒川の意地を見せたといってもいいのではないだろうか。このところこの競技は10代の少女が金メダルを獲得しつづけたが、大人の女の魅力を見せた荒川のこの8年間のジェットコースターのような競技生活の集大成が最高の結果につながったのは彼女自身の執念なのかもしれない。

村主も惜しかったが、彼女のあの雰囲気は銀座や北新地のクラブのママに近い。将来そんなこともあるかもしれない(笑)。それに比べて安藤美姫は自滅。なんかハープパイプのガキどもを思い出す。メダルにあと一歩だった岡崎もそうだが、大人の意地が私の印象なのである。

しかし、今朝の電車は平日の割には人が少なかった。みんな家でTVを見ていたんでしょうね。
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(睦月廿六日) 数奇なこと  

気象庁の課長だった山岳気象の第一人者、藤原寛人という名前を知らなくても、新田次郎という作家の名はほとんどの人が知っているだろう。この新田氏に『赤ちゃんがうまれたとき』という逸話があるそうだ。生まれたばかりの赤ちゃんが、母乳を吸う話である。力強く吸う、誕生早々の赤ちゃんの唇や舌にそれほど強い筋肉があるものかどうか、当時の新田氏はーおそらく新京(長春、今の中国東北部、旧満州である)時代―疑問をもたれた。ふと仮説をたて、ひょっとすると赤ちゃんは自分の舌で乳房の乳頭を巻き、真空をつくっているのではないかということなのである。
 それだけでなく、容積やら何やらを数字にして計算してみたという。

司馬遼太郎はこれをきいて、新田氏にとって数学は誌のようなものではないかと思ったという。その司馬氏が枕頭で本を読んでいるうちに、飛び上がるほど驚いたことがあった。著者である数学者が文部省の長期在外研究員として、イギリスのケンブリッジに赴き、そのときの実景と実感の文学的報告を「遥かなるケンブリッジー数学者のイギリス」という本である。この本の著者の藤原正彦氏が、あの赤ちゃんではないか、と思ったという。

最近のベストセラー「国家の品格」ですっかり有名になった藤原正彦氏はこのように新田次郎氏の子息である。「真空論」に登場する新京時代の藤原家の赤ちゃんの著作を現在の我々も読んでいる。読書というのは「数奇なこと」に出くわすものである。
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(睦月廿五日) 竹島問題  

世間は「堀江メール」の党首討論に目が集まっていたのだろうが(いや女子フィギィアかな)今日は昨年島根県が制定した「竹島の日」である。日韓関係は小泉首相の靖国参拝問題からぎくしゃくしているが、この問題も韓国から横槍が入ったことは覚えているだろうか。

主権の存するところに国家としての意義があることは云うまでもない。主張すべきは堂々と主張すべきであり、それが国としてのあり方である。島根県が「竹島の日」を制定したのは、実質支配している韓国側の脅威で安定した漁業が出来ず、県民の不満を国がまともに取り上げなかった事に対するささやかな抵抗とも云える。これをすぐに侵略論議と結びつける危さが極論好きな日本の不安定さを増幅しているように思える。

すべて都合の悪いことは先送りという解決策しか取ってこなかったツケがまた来ている。でも国会でままごとのような探偵ごっこをやっている者にそうした解決策を期待する方が無理のようだ。
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