(睦月廿四日 下弦) 不安煽動社会   

昨年末に広島や栃木で帰宅途中の女児が殺害されるという痛ましい事件があった。いわゆる「通学路対策」が問題となり、例えば東京都千代田区では学生ボランティアに人手を頼ることにしたが、学生ボランティアから凶悪な性犯罪者が出た場合、次はどうするのだろうと思っていた。実際、今週保護者による園児殺害という凶悪事件が起こった。こうなると、世間ではやれスクールバスで全児童を送迎すべきだ、保護者が常に個別で通わせるべきだとか、という極論が生じやすい。では、スクールバス運転手が児童を殺さないという保証でもあるのだろうか。さらに自分の子を殺める親もいることを我々は現実に知っている。少数ながら悪い奴はどこにでも一定数いるということを考えれば、あまりの異常な事件で、極論に走るのは愚の骨頂である。この国の殺人事件の85%は顔見知りによる犯罪であることを再認識すべきだ。

子育ての目標とは、子どもから目を離さぬことなのか、それとも自立を促すことなのか。よく考えれば分かるだろう。危険を大人がすべて取り除ける社会なのか、子どもが自ら危険を察知する力をつけてゆく社会なのか、どちらが健全だろうか。集団登校を続けると注意力が衰弱し、交通事故に遭遇する率も高まってしまうという経験をしたことはないか。究極的な安心のためにはシェルターでも作って閉じこもるしか手はないのだ。

〇・〇〇〇〇一%の凶悪犯罪者のために、なぜ九九・九九九九九%のまともな大人がかわいい子供たちから、少年時代にはなくてはならない道草や、子供たちだけの時間と空間とルールづくりを、取り上げなければならないのか。そろそろ、この極端な思考から解放されなければならない時期に、またしても日本列島が集団ヒステリーに覆われようとしている。
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(睦月廿参日) 金利上昇の気配  

先週末からBBA(イギリス銀行協会)の6ヶ月円LIBORが0.1%をつけている。何年ぶりだろうか。ちなみに一年前は0.06%台であった。しかし、$LIBORは5%に迫ろうとしているから、この上昇も軽微かもしれないが、先週発表のGDPを見れば15年にわたる長い低迷期をようやく脱したかなという数字が見える。

それは雇用者報酬がマイナスからプラスに転じたことである。これは失業率の改善やパートではない正社員の雇用状況の改善によって名目雇用者報酬が上昇基調になったということだ。この雇用者報酬つまり収入の増加は個人消費の増大につながる。個人消費は日本のGDPの6割超を超える最大項目であり、今後のGDP成長率の下支えになりそうである。金利上昇を先送りしたい政府・自民党にとって先週のGDPについて「それ見たことか」の大合唱がおこらないのも当然である。

しかし、竹中氏あたりはGDPデフレ−ターのマイナス幅が1.6%と拡大しているので、デフレの懸念を訴えているが、項目別に見ると輸入物価が大きく下げに貢献しているが、国内要因だけを見れば確実にマイナス幅が減少しており、デフレの懸念は薄れていると判断するのが妥当である。

しかしながら、このことが株式市場にとって全面的にプラスかというとそうではない。「日本景気の回復」は株価には既に織り込まれているからである。日本株が底を売ったのは2003年4月である。日本景気の回復期待をもとに株価は大きく上昇し2倍以上になり、上昇期間も既に3年近く経ったわけだ。

株式市場のセオリーからすれば、夢で買われて現実で売られたわけというわけである。土日を挟んでの株価の大幅下げで投資家は大変だが、キャッシュを確実に生み出している企業はさほど下げてはいない。ゼロ金利という過剰流動性相場の終焉というのが妥当な見方ではないのか。

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(睦月廿弐日 雨水) 本多静六  

本多静六は父親の急死で少年時代は貧乏を極めたが、のちに林学の徒となり、明治神宮や日比谷公園などを設計し国立公園の生みの親として知られている。(一般的でもないか。)昭和25年に刊行された『私の財産告白』(実業之日本社)が先頃新装版として同社から復刻されたので、注目されているのではないだろうか。しかし、それは巨大な財産をなした人としての注目かもしれない。でもその独特の蓄財法(どんなに貧しくても定期収入の4分の1と臨時収入の全額を強引に預金してゆく)と専門性を活用した投資(山林や山地や株式への投資)で、2万円を5000万円にした経過は「嫌味なく」語られているのである。

今時の成金社長と決定的に違うのは実に謙虚ということである。儲けた巨額の財のほとんど総てをいとも簡単に、そして何度も寄付している。富に対する執着がないのは、その少年時代の貧困を考えれば、その人格には驚嘆する。ちなみにその語録を並べてみる。

「失敗は社会大学における必須科目である。私はこの大切な課程を経たものでなければ、本当に成功(卒業)ということにはないと考えている。(中略)私は一緒に事業を企て、仕事を始める場合、その友人がいままでどんな失敗をしたかをまず知る必要があると思う。」
失敗をしたことがないと豪語する楽天の三木谷社長よりも釈放後に変化するかもしれない堀江に期待したいのはこの点かもしれない。

「金儲けは理屈ではなくて実際である。計画ではなくて努力である。予算ではなくて結果である。」

「人生の最大幸福は職業の道楽化にある。富も名誉も美衣美食も職業道楽の愉快さには比するべきもない。(中略)職業を道楽化する方法はただ一つ勉強に存する。」

また別の本で以下のような人生訓を述べている。

25歳から40歳までは、与えられた仕事に徹底精進し、一身一家の独立安定の基礎を築くこと。40歳から60歳までは専門性を活かして社会に尽くすこと。60歳から70歳までは周囲に恩返しをすること。運良く70歳以上まで生きられた場合は山紫水明の温泉郷で晴耕雨読を楽しもう。

そうした人生を可能にするためには広く万巻の書物を読み現実に学び続けるほかはないと本多静六は結んでいる。

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(睦月廿壱日) 人生は五十一から  

週刊文春の小林信彦氏のコラムが好きで毎週コンビニで立ち読みするケチなおっさんがここにもいるが、それをまとめた文庫本が文春文庫から出版されている。すでに4冊になっていると思うが、今日はその第三弾の「出会いがしらのパッピ−・デイズ」を半身浴で読みふけった。これは2000年分をまとめたものである。

そもそもこの題名が切実である。(^^)今年の夏には50歳という節目を迎え、人生は五十一からが現実となる。しかし、小林氏は昭和7年の生まれで戦時中は中学生という多感な時代だったので、いろいろな話が出てきても何かピンと来ないことも多い。さらに江戸っ子なので当然話が東京が中心になるので、ああそうなのか、ということも多い。

しかし、齢をとると「しまった」という数が増える。一日を終えて反省しきりの日々が続くのは私だけかもしれないが、本当に嫌になる。ところが、この小林氏は物覚えが悪くなったと自覚すると、いきなり脳ドックを受けている。この飛躍した行動がこの人の真髄ではないだろうか。そして医師から物覚えが悪ければ秘書を雇えばいいでしょうといわれて、いきなり外国映画の女優を想像してしまうというのも凄い。

現実の諸事を嘆いて過去を振り返ることは当り前だろうが、この人はその過去をあぶり出しのように書いているのは読者に心地よさを与える。いざという時に遠くを眺められる望遠鏡を常に持っている人は羨ましい。
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(睦月廿日) 送別会  

会社のK部長が今月勇退されることになり、淀屋橋で送別会をおこなう。合併会社の特例措置もあって65歳までサラリーマン生活を続けられたのは本人にとっては幸せな人生だったのだろう、終始和やかな顔をしていた。私にとっても約3年前にこの会社に入った頃から指導していただいたこともあって、時には五月蝿く思ったこともあったが、真面目な人というのが印象的だった。テニス、登山、写真と多趣味で老後といえば失礼だが、第二の人生がぽっかり空いてしまうということもなさそうである。元々が下戸だったが、今の会社では飲む機会が多くなり、お酒も少々たしなむようになった。でも彼は交際範囲が多いためか、この月は送別会の嵐のようで、明日の土曜日もあるようで、早めにおひらきと相成った。参加者はそれぞれ三々五々二次会へ行ったようだが、私はゼロ次会でそこそこ飲んでいたのでこれにて終了。

ゼロ次会は地下鉄淀屋橋駅近くの「喜太八」。山一時代を含め大阪での外資の時も度々行っていた店だったが、今の勤務が難波であれば少々足が遠のいていた。おばちゃん二人が何十年とやっているお店なのだが、ここのうりは料理の上手さ。別にこったものはないが、ひとつひとつに心がこもっている。特に豆腐は抜群。冷奴にしても厚揚げにしても無茶苦茶上手い。さらにこれがおでんになればこれが最高。ここのおでんを食べていたら他のは食べられません。つゆが濁らないように牛すじ等はなく、淡白な上品な味は何ともいえません。大根をはじめ素材から選んでおり、下ゆでから完成まで何時間もぐつぐつ。素材の美味さを引き出す技をもったこの店。道路から狭い通路を入って更に奥の奥にあるので、携帯電話も通じないところにある。一度行きたい方はご連絡を。
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(睦月壱拾九日) レモンの原理  

レモンというのは外側の黄色い皮が鮮やかで厚く、見た目からは中が腐っているかどうかわからない。実際私も買ったレモンの中で中味が悲惨だったケースがあり、それからは売っていたスーパーでは二度と買わなくなったという経験がある。外見だけでは中味がわからないというのは買う時に困る。正しい情報がないと、買っていいものかどうか判断できないのは何もレモンに限られた話ではない。世間を騒がしている経済事件でも後で捜査の過程でいろいろな嘘の情報がぼろぼろ出てくるのだから、買う側はたまったものではない。

しかし、売り手が情報を正しく伝えれば売り手の利益は増えるだろうか。腐っているものでも大丈夫といえば、買い手はその是非が分からないので良いものと同値で売れるというのは、耐震強度偽装問題でも証明されている。つまり、情報を正しく伝えないほうが売り手は儲かるのである。悪いものを先に売り、後でも売れる良いものは売り惜しみするものである。ある一方は多くの情報をもっているのに、もう一方はそうでない状況であれば、価値に合った適正な売買価格はつかないのが通常なのだ。

株の場合は発行会社が圧倒的に多くの情報をもっており、投資家は限られた情報しか持てない。売り手の発行会社は高く株を売るためには悪い情報を出し惜しみやすく、良い情報のみが出てくるのは、レモンの例えと同じ仕組みである。その結果、市場では真価に較べて品質の悪い株が偏った良い情報で取引され、本当は良いはずの株は正直な情報ばかりなので、投資家には評価されないという事態が生じるのである。しかし、こうした状況が未来永劫続くわけはない。ライブドアを見れば一目瞭然である。「騙された」と思う投資家は市場から逃げ出そうとするし、また逃げ出さなくても、騙されまいと出来るだけ安く買おうとするはずである。投資家に正しい情報を出さない株式市場では、安定的な価格形成は期待できないのである。

今日は情報ということに縁があった日だった。
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(睦月壱拾八日) 春の雨  

朝の出勤時の明るさが増してきた今日この頃だが、今朝は特に暖かく私の必需品の毛糸の帽子も必要なかった。裏地のついたコートだっただけに電車の中では暑苦しいほどだった。難波の地下鉄の駅を上がったところに温度計があるのだが、本日は11℃だった。つい先日まで1℃とかが当り前だったのが嘘のようだ。一雨ごとに春が近づくというよりも桜の花を吹き飛ばす春の雨が降ってきたのは天気予報よりも早く昼からだった。

しかし、最近なんとなく天気予報があたってないような気がする。そもそも10%と20%の雨の確率がどのくらい違うか気にする人がどれだけいるだろうか。単に朝傘を持つかどうかの判断で10%刻みはないだろうし、挙句の果てに折りたたみの傘をと云われれば、職務怠慢の予報としか思えないのだ。

そんな難しい天気予報とは違って、ここ数日の株式市場は分かり易い。朝の外国人動向は売り越しで、これでは反発は限られるかと様子見していると、昼のバスケット取引では買い越しか売り越しかが分かると、先日述べた魔の30分の間に午後からの相場はほとんど決定してしまう。こんな刺激のない相場だからこそ、市場参加者が減少し、商いも閑散となってしまっている。

ただ、休むも相場。ここはじっくり先行きを考えてもいい時期だろう。トリノでは休んでほしくないが、まあこれも時の運である。なるようにしかない、相場と同じで焦るとろくなことがない。春の暖かい雨を傘に感じながら家路に着く。

PS:スピードスケートの岡崎、惜しかったなあ。34歳だぜ。ちょっと悲しみを帯びた笑顔が素敵だった。人間苦労すればいい顔になるんだなあ。
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