(睦月廿四日 下弦) 不安煽動社会   

昨年末に広島や栃木で帰宅途中の女児が殺害されるという痛ましい事件があった。いわゆる「通学路対策」が問題となり、例えば東京都千代田区では学生ボランティアに人手を頼ることにしたが、学生ボランティアから凶悪な性犯罪者が出た場合、次はどうするのだろうと思っていた。実際、今週保護者による園児殺害という凶悪事件が起こった。こうなると、世間ではやれスクールバスで全児童を送迎すべきだ、保護者が常に個別で通わせるべきだとか、という極論が生じやすい。では、スクールバス運転手が児童を殺さないという保証でもあるのだろうか。さらに自分の子を殺める親もいることを我々は現実に知っている。少数ながら悪い奴はどこにでも一定数いるということを考えれば、あまりの異常な事件で、極論に走るのは愚の骨頂である。この国の殺人事件の85%は顔見知りによる犯罪であることを再認識すべきだ。

子育ての目標とは、子どもから目を離さぬことなのか、それとも自立を促すことなのか。よく考えれば分かるだろう。危険を大人がすべて取り除ける社会なのか、子どもが自ら危険を察知する力をつけてゆく社会なのか、どちらが健全だろうか。集団登校を続けると注意力が衰弱し、交通事故に遭遇する率も高まってしまうという経験をしたことはないか。究極的な安心のためにはシェルターでも作って閉じこもるしか手はないのだ。

〇・〇〇〇〇一%の凶悪犯罪者のために、なぜ九九・九九九九九%のまともな大人がかわいい子供たちから、少年時代にはなくてはならない道草や、子供たちだけの時間と空間とルールづくりを、取り上げなければならないのか。そろそろ、この極端な思考から解放されなければならない時期に、またしても日本列島が集団ヒステリーに覆われようとしている。
0




AutoPage最新お知らせ