(如月壱日 朔) ふと感じたこと  

金メダルを取った荒川の凱旋帰国がTVで報じられている。いい顔だなあ。彼女の夢の達成の原動力は何だったか。彼女は感動を与える演技がしたいといっていた。人それぞれかもしれないが、感動や夢の本質は何かの壁を乗り越えること、つまり否定である。正確に言えば不安を消し去ること、相手に勝つかもしれないという不安を否定することである。こうして得られた夢の達成が進歩なのだ。荒川の今日の表情は金メダルを取る前の顔とは全く違う。これが人間の進歩である。

彼女はオリンピックを前にして、現状を否定し、次の夢を追った。否定を本質にもつという意味では「判断」もそうである。そもそも自分の演技に意見を述べるという行為は、そのコアに何らかの否定がなければ意味がない。全面的な肯定や異見ではない意見など、ただの提灯持ちであり時間の無駄である。自分の演技に対して、評価や判断を下すということは、何を否定し何を肯定するかという問題に帰着する。荒川の場合、「イナバウアー」という演技がその一例である。あの演技が始まったときの観客の歓声をあなたは耳にしたであろう。

否定の群れのなかから得られた肯定を、私たちは「選択」といっているはずである。その選択の総和が人生であるといったら大袈裟だろうか。選択の難易度は人によって異なり、その方向も違うのは当たり前である。だからこそその人の人生があるのだ。
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