(弥生壱拾九日) あきんどー絹屋半兵衛  

新潮文庫 幸田真音著

入院生活で上巻と下巻の半分くらいを読んでいたが、帰りの新幹線のなかで読破する。もともとは「藍色のベンチャー」として単行本は出版されたが、今回は「あきんど」と改題されている。2003年当時はベンチャー花盛りということでこの題がついたのかもしれないし、最近のライブドア事件等をうけての反省ムードからか改題されたのかもしれない。

もともと著者は経済小説が専門で代表作は「日本国債」である。もう何年前になるか忘れたが、縁あって一度仲間でお会いさせていただいた。「日本国債」の発刊後だっただろうか。その後何作か出されておるが、イマイチ印象に残る作品はない。今回の作品はたまたま文庫本になったということで手にしたわけである。

彼女が滋賀県出身でその思い入れもあるのだろうし、近江商人という江戸時代の有力豪商を輩出してきた郷土の誇りを感じさせた。彦根藩の井伊直弼と伝説の磁器の創設者の絹屋半兵衛との交流をメインに激動の幕末の中で、消えていった湖東焼に日の光を当てた作品である。作者が経済というテーマをもっているだけに、時代物とはいえ内容は現代を想起させるストーリーで、ややくどいところもあるのが難点である。

しかし一本の小説を書くには相当量の参考文献が巻末に紹介されているが、小説を書くのは大変な作業であることを実感する。何本か書くうちに洗練されていくのだろうが、あまり経歴を気にしない作品にも挑戦してほしいものである。

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(弥生壱拾八日) 首都圏の一日  

午前中は日本橋八重洲で雑用。午後は鴻巣のK歯科先生のところへ。最近歯石が酷いのもあるが、今回の快気祝いということで坂戸の「やっちゃん」(わてのことではありまへん)に行くことがメインである。4時ごろ医院に入って早速歯石取り、さらに虫歯の仮治療をしてもらう。

治療が終わってしばし待合室で休憩。しばらくして奥さんと息子さんがやってくる。年賀状では見たが、息子とは今日が初対面である。しかし、人見知りすることもなく、愛想がいい。3歳前というがこの頃が一番可愛い時でもある。北本のスーパー銭湯でリフレッシュしたあと、目的の焼き肉やさんへ。3年ぶりの味であるが、何度来てもここの肉は美味いなあ。

すっかり堪能した後は近くのスナックへ。しかし、食べ疲れ飲み疲れで身体がついていかない。帰りのタクシーの中ではほとんど睡魔に襲われていた。明日はゆっくり帰ろう。
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(弥生壱拾七日 望) 石頭楼  

東京の会議出席はなくなったもののドタキャンは申し訳ないので、仕事に目処がたった午後4時半に京都から東京に向かった。東京に着いたのはもう7時に迫ろうかという時だった。車中から電話をかけて予約しておいた六本木の「石頭楼(スウトウロウ)」に電話を入れて、連れの方が来られたら始めてくださいと伝言メモをいれる。

東京駅に着くとその足で千代田線の二重橋駅から乃木坂駅までいく。そこから歩いて5分ぐらいすればこの店に着いた。ちょっとややこしいところにあるので、初めての人はほとんど迷うはずである。レストランでありながら看板もないのだから当たり前なのだが。

ここの名物料理は火鍋とよばれるオリジナルの鍋である。何ともいえない味で最後の〆のラーメンもすんなりお腹の中に入ってしまう。今日は東京時代に大変お世話になった人たちとの再会なのだが、現在の各人の情報交換会と相成った。そんな時間もあっという間に過ぎてしまい、そろそろお開きの時間である。またの機会を約束して三々五々帰ることに。おっとゴチになってしまいました。ありがとうございます。

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(弥生壱拾六日) 身体の感覚  

通常の勤務となって二日目。今日は午後から奈良で仕事ということで近鉄で難波から近鉄に乗る。およそ40分の道程だが、疲れが出ているのか車内では熟睡していたようだ。目を覚ましたのは西大寺を過ぎた頃というのだから、まだまだ身体は元に戻っていない。今回のお客さんは奈良から更に車で40分ぐらいもかかる大和高田。これなら大阪から直接行った方が早いのだが、いろいろあってそうもいかない。このあたりは奈良盆地の中心であたりには大和三山も見えている。桜も散り始めているが、今日の雨でまた散っていきそうである。

直に目的地に着いたが立派な社屋でこれはこれは。社長は二代目のようで番頭の部長さんと面談。商談もスムーズで何とかなりそうである。帰りは近鉄大阪線で会社に戻る事にした。途中は大学が多いせいか、駅ごとに新入学生が乗り込んでくる。春らしい光景だ。しかし、ここでも身体がだるくてふと眠気を誘う。外の鬱陶しい天気も何だか気が重い。

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(弥生壱拾五日) 初出勤  

今年度になっての初出勤である。4月から組織変更になって新人も4人も入ってきて、狭い営業場が息苦しいほどである。久しぶりの職場は書類の山で片付けるのが大変。しかし、何とも困ったことというか呆れることもあって、これは最後に書くかぁ。

いつものメールでお客さんに復帰のご挨拶、あとで何人からかご返事を頂き、本当にありがたいことです。でも立ったり座ったりしていると何だか自分でもふらふらするのが分かる。さらに全く食欲がない。急に元のペースにするには加齢の影響があるということだろうか。また、一部のお客さんからは○○君帰ってきたら、えらい株安いなあ、もうちょっと休んでたほうがええんちゃう、というご意見もありましたが、誠にその通りで何だか申し訳ない気分になってしまう、ははは。

さてさて予定より2日ほど入院が長引いたが、今週末は上京の予定でした。過去形になっているのは会議のメンバー変更で私が対象外になっていたからだ。今回は金曜の夜と土曜日と予定を入れていたので、楽しみにしていたのだが、こんな大事なことを伝えてくれない上司を持ったことを嘆くしかない。先週s直接連絡取った時には、そんな話全くなかったのだから。また何だか分からない呼称変更といい、納得のいかないことが多い。サラリーマンとすれば肩書きが変わるのであれば、それなりの説明が必要なのじゃないの。私が気付かなければ金曜日は朝から新幹線に乗っていたよ。

どうでもいいけど、この店のオレの立場もそろそろ終わりかな。

でも予定通り行きまっせ。もちろん自費で!せっかく忙しいのに時間を空けていただいた方のためにもね。
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(弥生壱拾四日) 西宮へ  

昨日から降り続ける雨は「しとしと」という訳ではなく、警報が広島南部に出ており、外は大雨である。広島市内の高校に行く次男を高速船乗り場まで送っていく。途中、軽トラックと乗用車の事故があったようでパトカーもいた。大雨の中軽トラのおっさんが、後ろを見ないでドアをあけて、そこに乗用車が突っ込んだようだ。前が見難いこんな日は気を付けないと、こんな田舎でも事故が起きるものだ。

今日は愚妻が島でパートに行っているスーパーの研修が呉の広であるというので、私が運転して広まで行って、私は広駅から広島駅に向かうことにした。音戸の瀬戸から阿賀を廻って広に向かったが、雨に加えて海からの強風で波が道路に冠水しているところもあって、ハンドルをとられる時もあった。まだ若葉マークを取り外して数ヶ月の愚妻は助かったと喜んでいた。たまには旦那が役に立ちましたかな。

大雨のせいでJR呉線も時間遅延になっていて、予約を取っていた新幹線に間に合うか心配だったが、なんとか無事に乗り込んで新大阪へ向かう。3月31日以来の出社になる明日はさて?スッキリした身体のようにいきたいものですが、どうでしょうか。
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(弥生壱拾参日) 入院八日目そして退院  

朝レントゲンを取って待つこと一時間。主治医の林先生に名前を呼ばれる。写真を前にして「無くなりましたよ、退院できますよ」との言葉。よかったよかった。しかし、昨年夏に大阪の済生会中津病院で腎臓結石の手術をしてから、9ヶ月が経った。林先生いわく、結石というとなかなか真剣に考えない医者がほとんどで、若手の医師が片手間にやっているのが現状である。しかし、患者にとって、これほど辛い病気もない。こんな病院、医師がいて患者は助かるものである。選択の時代、病院を選ばないとえらいことになりそうである。

雨の中、愚妻に迎えに来てもらい、久しぶりに実家に戻り、普通の食事をする、普通の生活の大切さをしみじみと感じる。しかし、八日間の病院生活で一番辛かったのは点滴でその後遺症とも云うべき注射痕はまだまだ消えそうにない。
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