(卯月廿日) 国会議員の品格  

よくテレビに出ている自民党の山本一太が、安倍総理実現のためのわけの分からない応援ソングを歌っているのをみたが、周りの人間はなぜ止めないのだろうか。私は、こいつは本当に発狂したのではないかと、ふと思ってしまうほどだった。なんでも総裁選の前まで200回も公衆の面前で歌うつもりというからこいつには恥など何もないのだ。

まあ、安倍晋三内閣の官房副長官あたりを狙っているのだろうが(でもあいつのことだから、外務大臣と云っているのかもしれない)、秘書達も感動しましたなどと、たわけたことを云う前に、早く止めさすように云わないと。議員を何期もやっていると忠告する者もいなくなるのだろうか。当のマスコミも山本をちやほやさせずに批判しないと、哀れを誘うだけだ。
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(卯月壱拾九日) 世界競争力  

スイスの有力ビジネススクールIMDが先日発表した「2006年世界競争力年鑑」で、日本は17位と前年より4位上がって久しぶりにベスト20に入った。トップは6年連続のUSAで、昨年順位を落とした中国は日本に肉薄する19位である。

競争力の調査に反映するのは、経済力、政府の効率、民間企業の効率、インフラの4つのカテゴリー、合計312項目である。日本の競争力は政府などの社会的インフラが足を引っ張っており、特に他国に劣っている点は、大学教育が競争経済のニーズに適合しているか、法人税の高さ、政府調達への外資参入の難しさ、財政赤字のGDP比の高さである。村上ファンドのシンガポール移転でも明らかにされたように、日本の法人税の高さは60位という評点である。さらに政府調達問題は57位、財政赤字は56位と散々である。

民間の競争力の高さにかなりの部分を依存して、なんとか17位となったが、新興工業国の進展次第ではこの点はキャッチアップされる可能性もある。社会インフラは短期的にはキャッチアップされる可能性は低いだけに、政府の効率が特に重要だということだ。

ちなみにUSAに次ぐのは香港、シンガポールのアジア勢で、その後は欧州勢やオーストラリア、カナダが続いている。中国と並ぶ新興国インドは29位と10ランクあげている。
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(卯月壱拾八日) 格差社会  

格差という言葉をめぐってひどい混乱が生じている。そろそろ交通整理が必要である。いまさら格差がないと主張する論者は誰もいない。住宅街を歩けば千差万別の格差に気づかないものはいない。それは今も昔も一緒である。日々格差を巡る対立の激化は、第一に格差が広がっているのか、それに第二にそれを是とすべきかという論争に行きついている。これでは不毛の論争しか起こりえない。

第一に格差は広がっているというが、これはどこと比べるのか、いつと比べるのか、どうやって比べるのかによって、答えは全く異なる。にもかかわらず、日本のマスメディアは不安を煽っているのである。アフリカと比べよとか、江戸時代と比べよとか極論を云うつもりはないが、昭和30年代にもあった大地主と貧農との気が遠くなるような貧富の差など、ついこの間のことである。高度成長期に全体が底上げされたため、所得格差についてはほとんど問題にならなくなった。

ではなぜ今これだけ社会問題になっているのだろうか。それは不安だからである。不安を煽るには天下一品の日本のメディアが異口同音に叫んでいるからである。高度成長期には明日という存在に希望があった。しかし、今は昨日より良い明日ということが見えにくい。不安が主として将来の収入と老後の暮らしにむけられるのは必然なことである。

第二に格差を是とするかどうかは意見が分かれる。しかし、それはほとんどがいわゆる勝ち組からの提起であり、本当の生活上の不安を抱いている論客など皆無であるという事実を無視していないか。にもかかわらず、心優しいのか偽善なのかはともかく、格差を是正すべしという意見が大多数である。

この論争の不毛さは、格差という言葉に否定的な語感を抱いているものが格差是正といい、逆に肯定的なニュアンスをもっているものが格差はあったほうがいいといっているだけなのだ。人間は論争しているほどその問題に客観的な立場に自分を置いておくもので、決して当事者にはなりたくないものである。人の不幸ほど気楽にしゃべられるものはない。数少ない聖職者のような人間を除いて。
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(卯月壱拾七日 母の日) 寝たきり  

風邪が治らない。一昨日昨日と風呂に入っていないせいで身体が気持ち悪い。シャワーだけならいいだろうと思って、風呂場に行くが、やっぱりゆっくり湯船に入りたいという欲求には勝てず、湯を張って早速気持ちよく入っていると、ついうとうと。気がつけば一時間あまりいたようだ。流石に出たときは身体がだるい。完全に逆効果である。昼風呂としゃれ込んだのに午後は自分の身体とは思えないように身体が重い。

そして昨日まではあまり出ていなかった咳が止まらない。CATVでプロ野球の交流戦を見ていたが、次第に瞼が閉じることになる。目が覚めたり睡魔に襲われたりの繰り返しだ。千葉ロッテと広島の試合を見ていたのだが、これは広島ファンには胃が痛くなるような試合で、拙攻という典型的なゲームで話にならず、挙句の果てに連日のサヨナラ負け。また昨年の繰り返しですかぁ。
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(卯月壱拾六日 望) 困惑   

朝早く四国の姉から電話がかかってきた。この間の連休で親父を入院させて、その後の面倒を見ていたはずで一瞬いやな感じがした。案の定、どうも癌の疑いがあるというのだ。医者の方も切羽詰った診察でもなかったようで、組織をすぐとって病理解析に送るというわけでもなかったので、転移しているわけではないということか。とはいえ80を超えている老いた身には癌という宣告は酷な話だろうか。人一倍身体に自信がある親父だけに、ショックを受けるかもしれない。

姉といろいろ話をしながら、一時退院をして自宅で田植えの準備に勤しんでいるようだ。時々お袋の仕事の要領の悪さをきつく言うらしく、姉はそんなにいって作る米なんていらんよ、というほどらしい。百姓仕事に人生を費やしてきた生きがいのせいかもしれないが、来年の田植えはもちろんのこと、秋の刈り入れも元気でやるには、今の養生が大事なのだろうに。

いろいろ悪いことも考え、自分の風邪もあって、うつらうつらの状態が続いていた。夕方になって、当の親父から電話があった。入院時の礼を言われるが、そんなことは当たり前の話である。しかし、退院して自分の好きな仕事をしている喜びだろうか、いやに声が明るい。でも無理しているんじゃないかとこちらは勝手に思ってしまう。

ともかくも後で姉に電話して、来月精密検査を受けさすようにお願いする。天命だろうが、自分には親でありいつまでも元気でいてほしいだけである。
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(卯月壱拾五日) はも鍋  

はも(鱧)というと湯引きしたものに梅肉か酢味噌で戴くのが普通だと思うが、今日は鍋である。夕方お客さんと面談し、食事に誘われて階下の「治兵衛」で「はも鍋」を食べることにした。ここはもちろん「てっちり」のお店で今は60周年で半額サービスをしている。しかし、ここはなかなか食べる機会のない「はも鍋」に決定!

味はというと今まで食べたことがないのだから、食感が違うのもあるが、やっぱりあっさりしていて食べやすい。しかし、一番美味しかったのは鍋の材料の玉葱の美味さは格別。甘い味が何ともいえない。久しぶりにご馳走を戴きました。昨日からひいている風邪も治りそうである。満腹満腹。
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(卯月壱拾四日) 裁量行政  

大分の第二地銀「豊和銀行」への公的資金注入問題が発覚したのは先日のことであるが、昨年4月にペイオフを全面解禁したが伝家の宝刀は抜かれなかった。

経営不振の銀行を救済すべきか、退場させるべきという判断は金融行政にとって相変わらず柔軟性を秘めたものであることの証拠でもあった。地方経済に金融機関の破綻が与える影響はあの北海道拓殖銀行の例を見ても明らかである。しかし、昨年9月末に自己資本比率が8%を超えてきた銀行が、年初に金融庁の検査を受けて査定し直すと、3月末に2.2%まで激減したという事実の前には高度な政治判断とも云うべきものがあった。

長銀や首都圏の中小金融機関に対する処置と比較すれば、外資の参入が見込まれる金融機関と一地方の第二地銀に対する参入に対する悲観論の狭間を垣間見るようだ。バブル崩壊後の金融機関は長銀の破綻で邦銀の「不倒神話」を打ち砕かれた。先月の日経の「私の履歴書」で宮沢氏が回顧しているように、長銀を住友信託に引き取るというのが当初案だったのに、その通りにならず当時の小渕首相も無念だっただろうと、今更説明責任を振りかざされても、旧長銀マンは何を今更と呟くしかない。

そして三菱と強引に合併させられたUFJも繰り延べ税金資産が現在の三菱UFJの最高益に貢献している事実を突きつけられて、当時サッカーのルールを突然アメフトのルールに変えるようなものと当時の寺西頭取がアメリカのいいなりだった竹中平蔵氏に対する一種の恨み節も、今となってはサッカーのルールであれば生き残っていたのにと呟く旧UFJの関係者も多いだろう。

歴史はもしは禁物であるが、金融行政の絶対視というのもいかがなものであるかという気もしなくはない。
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