(卯月壱拾四日) 裁量行政  

大分の第二地銀「豊和銀行」への公的資金注入問題が発覚したのは先日のことであるが、昨年4月にペイオフを全面解禁したが伝家の宝刀は抜かれなかった。

経営不振の銀行を救済すべきか、退場させるべきという判断は金融行政にとって相変わらず柔軟性を秘めたものであることの証拠でもあった。地方経済に金融機関の破綻が与える影響はあの北海道拓殖銀行の例を見ても明らかである。しかし、昨年9月末に自己資本比率が8%を超えてきた銀行が、年初に金融庁の検査を受けて査定し直すと、3月末に2.2%まで激減したという事実の前には高度な政治判断とも云うべきものがあった。

長銀や首都圏の中小金融機関に対する処置と比較すれば、外資の参入が見込まれる金融機関と一地方の第二地銀に対する参入に対する悲観論の狭間を垣間見るようだ。バブル崩壊後の金融機関は長銀の破綻で邦銀の「不倒神話」を打ち砕かれた。先月の日経の「私の履歴書」で宮沢氏が回顧しているように、長銀を住友信託に引き取るというのが当初案だったのに、その通りにならず当時の小渕首相も無念だっただろうと、今更説明責任を振りかざされても、旧長銀マンは何を今更と呟くしかない。

そして三菱と強引に合併させられたUFJも繰り延べ税金資産が現在の三菱UFJの最高益に貢献している事実を突きつけられて、当時サッカーのルールを突然アメフトのルールに変えるようなものと当時の寺西頭取がアメリカのいいなりだった竹中平蔵氏に対する一種の恨み節も、今となってはサッカーのルールであれば生き残っていたのにと呟く旧UFJの関係者も多いだろう。

歴史はもしは禁物であるが、金融行政の絶対視というのもいかがなものであるかという気もしなくはない。
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