(文月壱拾参日) 原爆の日  

61年前も同じように暑い夏の日を迎えていたのだろう。戦争は日本国土を焦土と化していったが、最後に広島と長崎には地獄を置いていった。市民に対する無差別爆撃という国際法に違反する行為をおこなった米軍に対して、手のひらを返したように親米国家となったのは戦後の米ソ対立からくる世界戦略に組み込まれていったからだろうが、この時期になると素朴にあそこまでする必要があったと疑問に思う。

最後に辛い思いをするのはいつも庶民であり、それは今のレバノン情勢というか戦争をみても明らかである。戦争を早期終結するには何をしてもいいという論理(論理で原爆は落とさないな)は空論に過ぎないのでないか。社会人を広島でスタートした私にはこの日は特別な日である。30年前にはまだ原爆体験者が周囲に何人もいた。しかし、当時はその体験を話すことはタブーではないが、そんな辛いことを思い出したくないということではなかったか。現に私の父は20歳で終戦を迎えているが、少年兵ということで高知に米軍の上陸を防ぐということで行かされている。ほとんど食べるものがなく南瓜ばかり食べていて、何でも食べる父が南瓜だけはあまり箸をつけなかった訳を母親から聞いたのは何時だっただろうか。

しかし、体験者がこの世を去っていきあの地獄を経験した人に風化させてならないという思いが募らせたのは、NHK広島があの日のことを絵に書いていただけませんかという募集したのが大きなきっかけになったのでないかと思う。残酷で写真やフィルムではTVに出せないものも絵ということで画面を埋め尽くしたように記憶している。しかし、その絵一枚一枚にあの日の地獄があがかれていて、素朴なタッチの絵だけにその悲惨さがあった。

何かの縁で広島と関係を持つ私だが、やはりこの日だけは心の中で特別な日である。
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