(文月壱拾七日) もはや話題にも  

この前の日曜日長野県知事選挙がおこなわれ、現職で三選を目指した田中康夫氏が前衆院議員の村井じいさんじゃなかった仁さんに敗れた。マスコミの見解は、田中氏が再選後独善し県民の支持が得られなかったというものだ。つい数ヶ月前では田中氏が圧倒的優位でとても対立候補を擁立できないという雰囲気だったはずである。これがなぜあれだけの大差で敗れたか。

公示直後に岡谷を襲った集中豪雨、あれがすべてではなかったか。未曾有の被害を蒙ったニュースを見ていて、地区の走っている中央道は何もなかったように車が往来しているのがあれほど印象的だったこともない。自然は恐ろしいが、防ぐことも少しは可能であるというイメージを有権者に植え付けた。大量の県職員を動員できたのは田中氏の手腕であっただろうが、砂防ダムさえあれば、ここまでの被害はなかったというのが世論になったというわけだ。

脱ダム宣言も人命を失う災害の前には為すすべもない。全国で唯一借金を減らしても災害の前には勝てない。それほど日本人は死に対して尊厳しているだろう。特に身内になれば一応に一般論理は後ずさりする。歴史はそれの繰り返しかもしれないし、所詮、情の文化といえばそれまでか。これは長野県という特殊なケースだけではない。選挙で弔い合戦といえばどんな能力のない候補者でも圧勝してしまう。

もちろん、田中氏がパーフェクトだったとも云わないが、パフォーマンスだけの小泉首相がのうのうと満期終了まで生き延びたのと違って、身近な地方は未だ情の世界が生きているというわけだ。
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