(閏文月壱拾弐日) 少年法61条  

《家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であること推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。》

徳山高専の女子学生殺人事件の異様さは世間に改めて少年法の矛盾を表している。どこの誰であるかは用意に推測できるのに、匿名にする必要があるのかどうか。今回の事件を通じて考えてなければならないのは、殺人者が19歳以下だという理由だけで匿名にされる理不尽さについてではなく、殺人者の逃亡や自殺に対する防御を、少年法61条ゆえになしえないでいる、という点である。

警察やマスコミが、19歳の写真と名前を公表できないのは、それでも一応「少年の更生」を妨げないという大義名分があったとされていたわけだが、結果として容疑者や犯人を野放しにしてしまう危険性が高いのである。法治国家だから法に従うのは当たり前だが、マスコミは、実のところ少年法に従ってなどいない。

悪法といえども少年法は、容疑者の顔写真や実名を公表してはいけない、などと上記の条文には書いていない。今回も単なる「右へ倣え」で、そう解釈してしまったにすぎない。明らかに過剰な拡大解釈である。しかも警察やマスコミは学校名や年齢を報道してしまっているのだから、61条など遵守していない。

憲法改正論議もいいが、国会議員は目の前の理不尽な殺人に対して何も感じないのか。1948年7月15日に公布された少年法は、新聞や出版物しか前提にしていない。テレビの存在のない少年法がいつまでも改正されないのは、怠慢そのものである。
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