(長月壱拾日) アルジャジーラ  

対アフガニスタン戦争の時、あのウサマ・ビンラディンの独占映像を流し続け知名度をあっという間に上げた放送局が開局10年を迎えたという。この放送局があるのは中東カタールの首都ドーハである。ドーハといえば1993年10月28日のあの「ドーハの悲劇」をすぐ思い出す。その日私は長崎に出張していて、あのTV中継はテレビ東京が担当していたので、長崎では確かTVのLIVEがなく、ラジオで聞いていた。ロスタイムでコーナーキックから同点ゴールを決められた瞬間は忘れられない。あとでスポーツニュースをみて立ち上がれないラモスとピッチの外で頭を抱え込んだ中山の姿が印象的だった。

そのカタールは政党も議会も選挙もない国である。しかし、産油国で一人当たりのGDPは36000ドルもあり、イラクの40倍もの富裕国である。このカタール政府が中東における近代的な放送局を求めて、CNNやBBCから人材を引き抜いて設立したのが、このアルジャジーラである。そもそもカタールは米国に基地を提供している親米国家であるが、アルジャジーラの放送が世界各国から反感を買うたびに視聴者が増え、収益が増大するという構造になってしまった。

そもそもアメリカのマスコミはイラクの悲惨な状態を伝えることはない。というわけでアルジャジーラの映像が貴重なものとなっているのは事実なのだが、最大の欠陥もある。アルジャジーラは地元カタールのニュースは無い。つまり国内のことにかかわるのはタブーなのである。
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(長月九日 上弦 旧重陽の節句) 季節感  

別名菊の節句とも云うべき重陽の節句。太陽暦の9月9日といえばまだ真夏である。今年は旧暦文月が閏となって二ヶ月あったので、ちょうどいい時期に菊の花も見られる。先人の知恵というのは素晴らしいものだ。

阪神尼崎駅の北側に中央公園があるが、そこの芝生部分で今週から菊花展が開かれていて、実に綺麗な色とりどりの菊の大輪が展示されている。四国の私の実家でも母親が趣味で菊をしているが、世の中には上には上があるものである。

今年の関西は日中夏日になる日も多く、朝晩の冷え込みもさほど厳しくない。暑がりの私はいまだスーツは夏物である。通勤時マフラーなどをしている女性を見ると季節感の違いに驚くばかりだ。でも道の片隅に落ち葉が散らばっているのを見ると、確実に冬の使者はその姿を見せつつあるようだ。寒くもなし暑くもなし、私には一番いい季節である。
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(長月八日) 一度だけの世界  

日曜日は先週の出来事がまとめて放送される番組が多い。我々はVTRがあるためLIVEを見逃しても確認することが可能であるし、元々中継では数多くの資料がTVによってもたらされる。選手だって場内のスクリーンで思わずビデオを振り返ることがある。しかし、スポーツの現場に赴くと頼れるのは自分の目と耳だけである。

球場に行くと舞台が小さく感じることが多い。関西であれば相撲の大阪府立体育会館も力士に比べて土俵が狭く感じてしまう。カメラを通じてみる世界と現場は全く別世界なのである。驚異的な視聴率だった今年の日本シリーズも現場ではもっと違った世界だっただろうし、行った者しかわからない世界がそこにはあったはずだ。VTRにより再現が可能なのは、それが現実ではなく、映像であるに他ならない。

スポーツだけでなく、災害や事故のニュースもまた、TVと接するものとは大きく隔てられているのである。そこには現実という一度だけの世界がある。
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(長月七日) ウォークラリー  

営業していた時に10/28に尼崎市の中央地区で「わがまちの歴史文化を訪ねて」と題して、ウォークラリーがあることを知ったので、秋晴れのなか土曜出勤?である。そういえば今日から阪神と阪急はダイヤ改正があったのだが、阪神はほとんど変わっていない。それに対して阪急は夙川駅に特急が止まるようになった。これは来年春JRが新駅を誕生させるので、それに対抗するためでもある。

9:30集合ということで旧開明小学校に行くが、ほとんどが60歳以上というか70歳を超えているようで、場違いそのもの。しかし、最近の爺さん婆さんは元気そのもの。歩くスピードも結構速い。これはということで、少し早めに先頭を歩いていたところ、係員からすこしペースを落としてくれと小言が、ははは。

寺町を一周した後は、尼崎城跡を巡っていく。尼崎城というと秀吉が本能寺の乱直後、中国大返しで入城したのがここである。そんな歴史的な雰囲気は今は全くなく、工場跡地と思われるところにはマンションギャラリーが乱立しており、昨今のマンションブームが続いているようだ。でも旧尼崎警察署の建物は結構いい感じなのだが、荒れるままにされており、やはり美観地区なんて発想はここにはないようだ。

完走というか完歩賞としてもらったのが、もうじき賞味期限が来そうな非常食というのは、いかにもお役所の考えそうなことだ。要は在庫一掃のために利用されたってことか。
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(長月六日) 読書週間  

だいたい読書の秋とか云うけど、本を読まない奴は秋でも読まないし、読む奴は冬でも読む。つまりは死語なのだ。私が読書をするのは夜が多いし、雨の日とか、半身浴とかというのが多い。最近は少し本を読むスピードが速くなったようで、結構乱読している。

同居している愚息もたまに見ているのはマンガ本だけで、普通の本を読んでいる姿を見たことがない。本代は別だから請求しろと言っているのだが、あまり効果はないようだ。学生の時ぐらいしかまともに本を読める時間はないのに、アルバイトに精を出すのはいい加減した方がいいのになあ。バイトなんて就職活動で自慢気にしゃべる奴をみるけど。代替可能な単純労働で社会人になるための能力が高まるとは思えない。

なんか本屋のためのイベントとせずに、つまりは読書を啓蒙するのではなくて、読まない奴らから読書人が格好よく見えることのほうが先決である。
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(長月五日) Enjoy Shinjo  

新庄が3年前にMLBから帰って来て、これからはメジャーでもセ・リーグでもない、パ・リーグです。と言ったのが昨日のように思い出す。しかし、なんて運のいい奴なんだ、新庄は。一年目にあと一歩でプレーオフ第二ステージに進めなかった。今年は2強と言われたホークスとライオンズに隠れるかたちで、終盤圧倒的な勢いでパ・リーグを制したその力は、不利と言われた日本シリーズでも札幌ドームを埋めた4万人以上のファンが後押しした。地元を応援するという極めて単純な感情を爆発した北海道の人たちが、ファイターズを日本一の座につかせたのである。

野球が読売で廻っていた時代は終わった。それがわからないマスコミ人があまりにも多いことは時代錯誤の典型である。あとは企業色が静かに後退することを願うだけだ。企業の宣伝媒介という立場は今のプロ野球にはない。阪神といっても大阪と神戸を表す地域名としてあるだけで、電鉄会社をファンは応援しているわけではない。地域一体が事業の成功の源なのである。つまりは公共財としての集団なのである。

しかし、落合中日は圧倒的に強かった西本阪急を思い出す。勝負にこだわり、プロ好みの選手に恵まれていることなど、何となくあの時代を彷彿させる。この先、阪神とセ・リーグの覇権を争い続けることになるのだろうが、日本一には縁がないという星のもとに生まれたのかもしれない。

でも今年も野球は面白かったということだ。ドラマがあったし、読売の時代は終わったのだから、親会社もこの時期で拡販としても役目を終えて、独立させればいいのではないか。
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(長月四日) 海の名残  

人体:H O C N Ca P S Na K CI
海水:H O CI Na Mg S Ca K C N
地殻:O Si AL Na Ca Fe Mg K Ti P

これは人体、海水、地殻を構成する元素を原子数の多い順に並べたものである。生命は海水中で誕生し、それが多様に進化して現在の生物につながっている。つまり、人体と海水に含まれる元素が類似していることに気がつくだろう。3億年以上も前に陸に上がってきた脊椎動物の末裔である私たち人間にこうした海の名残があるのは驚くばかりだ。

これは講談社から出版されているブルーバックスの「新しい高校地学の教科書」のコラムで見つけたものである。なるほどそうだったのかと知的快感を味わうこと請け合いである。

昨日今日と高校の世界史を履修していなくて、卒業できるかどうかわからないという、今まで暗黙の了解とされていたことが白日の下に曝されていることがニュースになっているが、高校レベルの専門教科ってかなりレベルが高いことに驚く。受験のために特定の教科にしわ寄せが来るのは仕方がないことだ。公立だけに負担を強いるのはどうかなと思う。今はどうだか知らないが、「開成」の音楽なんて校歌しかやらないという話を聞いたことがあるぐらいだ。
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