(長月壱拾八日) いじめ自殺  

相変わらずマスコミで「いじめ自殺」のことが報じられている。いじめによる自殺が珍しいから報じられるのであって、交通事故死のように当たり前のことになると記事にもならないのではないか。

天邪鬼になってしまったが、そもそも「いじめ」と「いじめ自殺」は次元が全く違う。私には3人のこともがいるが、彼ら彼女がいじめにあったこともあるし、いじめる側になったこともあると思う。だいたいほとんどの児童生徒がかかわっているのではないか。でも私の3人の子供達は自殺はしていない。

そもそも、いじめをした子供やその監督者である親の責任が問われなくて、学校や教育委員会が頭を下げる方がみっともないことだ。大人が無責任に頭を下げることで、いじめた本人は責任を痛感する機会を避けられているというのに。

福岡の事件では、自殺した子供の親の対応が引き金になったような気がしてならない。学校から早退している事実に気づかず、勝手にパソコンを覗いて担任に告げたことがどれだけ子供を傷つけたことだろう。もちろん自殺は彼自身の間違った判断でなされたものだし、残された者の責任にするつもりもないが、もうすこし子供のプライバシーに対する配慮があっても良かったのではないか。

いじめの被害者は生徒自身であり、その保護者ではない。親が「いじめをなくして欲しい」と行政に迫る姿もどうかと思う。自殺した子供の親に向かって、異論を向けることなど役人にはできないし、ほとんどのマスコミの出来はしない。そんな建前だけの話をして、いじめが無くなる訳がない。我が子が被害者になるケースもあれば、加害者になる場合も常にあると認識していない親に、身近なイジメから我が子を守ることは出来ない。
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