(師走廿六日) 核の脅威  

北朝鮮が核実験をするという主張はこれまで一貫しており、現に狂気(核実験)を振りかざしたのは一線を越えたという意識もなく、国内向けでは極めて当たり前のことをしたのに過ぎない。つまり国内に向けて権力者の正当性を主張しただけだ。北朝鮮をめぐる6カ国協議というのはどこも責任とカネを使いたくないので仕方なく国際社会にポーズをとっているに過ぎない。

いずれこの国、北朝鮮は近いうちに崩壊するだろうと思っていた。経済制裁が続けば食料不足と燃料不足が深刻化していくだけで、これだけでも北朝鮮には冬を越せるかどうかの瀬戸際なのである。しかし、経済制裁が成功するのはその国の為政者がそのような事態に耐えられないという前提が必要になるのだが、かの国の為政者にはそのような意識など全くない。そりゃそうだろう、庶民の餓死を放棄していた連中なのだから。

核実験に対してはインドやパキスタンのように最後のカードを切るという選択は国際社会ではありうることだ。しかし、中東のアラブ諸国に認めなくてイスラエルに許すというのは片手落ちだし、被爆国であり、非核三原則を拠り所にしていた日本は、北朝鮮だけでなく、パキスタンやインド、イスラエル、そしてアメリカにもロシアにも中国にもイギリスにもフランスにも核武装の解除を訴えるか、平和のためには核抑止力は必要悪であると認識するかどちらかである。

おかしな使い方をするのは何も北朝鮮だけではないような気がするけどなあ。
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