(如月壱拾参日) 講演会  

ローマ人の物語15巻を書き上げた塩野七生氏が凱旋将軍の如く、日本に帰ってきたのを機会に新潮社が先週東京、そして今週は今日が大阪、明日が京都と講演会が続く。月刊誌「フォーサイト」の購読者の私にも招待状が届いたので、ロイヤルホテル隣の大阪国際会議場に向かう。しかし、休日のJR西日本というのはダイヤの遅延がひどい。例の事故からゆとりダイヤにしたはずだが、どうなっているのかわからない。東西線の新福島駅から堂島川を渡って川辺の遊歩道を歩いていると潮の香りがしていた。

定刻14時から始まったが、一時は立ち見が出るほどでスタッフが慌てて補助席を出すなどの盛況ぶりだった。見渡すとう〜ん、女性が多い、それも年配の。そして男性はこれもおっさん、じじいが多い。まあ塩野氏の本の容量を考えると暇な人が多くなるのはしかたがないか、ははは。さて講演開始となったが、通常の講演とちょっと違和感があって、なにせ塩野氏が講演会の経験がほとんどないせいか、要領を得なくてマイクの持ち方もぎこちない。10分ぐらいしゃべったら、もう質疑応答である。

まず第一の質問というか、問題提起は多神教社会であるローマと現代のローマ帝国とは言わないがUSAとの比較だった。一神教の原理原則よりも寛容のあるローマをアメリカに望みたいという読者の意見だった。これに対して塩野氏の見解は、同じキリスト教でもカトリックとプロテスタントは価値観が違う。カトリックは人間は弱いものというか間違うものだから一定の規律が必要という。プロテスタントは元々カトリックに対するプロテストなのだから、やはり原理原則を尊重しがちである。そこへイスラムも一神教の原理原則宗教であるから、アメリカとイスラムは宗教上は同じ概念上にいるのではないか。したがって融和というのはなかなか難しい、とのこと。さらにキリスト教はルネッサンスといういわば開放を経験しているのに対して、イスラムは1300年余りほとんど変化がない、ともいう。

なるほどね。だが、私が聞きたかったのはもう一点ある。ローマは共和政から帝政に移行したこと。現代人からみると君主政から民主政に移行するのが歴史と思っているはずである。この答えは明日の京都で語られるのであろうか。
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(如月壱拾弐日) 期末  

金融機関にとって期末ほど慌しい時期はない。とはいえ、証券会社は期初のスタートダッシュを目指すので、その準備も忙しい。今回の上司はそのスタートダッシュ重視らしいから、月曜日はどうしようかなと頭を悩ます俺がいた。

その最終日は本社報告でデータと朝からにらめっこである。老眼の目にはきつい細かい数字を追っていくと疲れる疲れる。これを間違うと支店の評価ポイントで減点をくらうので、何度も繰り返して確認作業である。何とか作業も終わり送信をして本日の仕事は終わりである。恒例の打ち上げは昨日前もって行ったので社員は三々五々帰っていく。管理職なので最後まで残るはずだったが、ひとり営業に出てなかなか帰ってこないので、先に失礼する。さあ、帰って野球でも見るか。
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(如月壱拾壱日) 室戸台風  スポーツ

西宮と尼崎を往復していると甲子園球場はいつも見えるだけに、春のこの時期球児の姿は朝早くから目に留まる。夏に比べて予選は秋季大会の結果が伴うとはいえ無いし、負けたら終わりという選手権大会に比べると、選抜はまた夏があるという気軽さがある。

そうしたなかで私が注目しているのは、中田翔の大阪桐蔭でもなく、高知の室戸高校である。あの台風銀座の室戸にある唯一の高校で今日もアルプスは地元からの応援団で埋まっていた。しかも試合は伝統校の宇部商を堂々と倒しベスト8に進出した。一回戦は優勝候補の報徳学園を負かしているのだからたいしたものである。報徳といえば、昨秋の近畿大会で大阪桐蔭をおさえ優勝した強豪校、それが初出場の室戸に負けるのだから高校野球はわからない。

この室戸を率いるのが横川恒雄監督である。桑田清原のKKコンビは高校野球史上最強チームと思うが、春は2回とも決勝で敗れている。KKが2年のときは東京の岩倉高校に、そして3年のときは高知の伊野商にである。横川はこの伊野商のOBだ。大学卒業後母校に帰り甲子園も近いと思われた1982年に突然養護学校に転勤を命じられた。青天の霹靂だった。野球への思いは断ちがたかったが、新たな出会いに衝撃を受けた。自分の指が思うように動かせず、24時間の看護や食事介助が必要な子どもたち。30年生きてきて初めて知った世界だった。「自分や選手はいかに恵まれていたかを実感した。」と横川は言う。

7年後横川は聾学校へ異動。そこでソフトボール部の監督になった。沖縄の聾学校の野球部を描いた「遥かなる甲子園」そのままの光景がそこにあった。そして4年後健常者と一緒の公式戦で初勝利をあげ、伝説の試合と語り継がれる快挙を演じたのである。97年現在の室戸に転勤、再び硬式野球の舞台に戻ってきた。しかしこの15年間の障害者との生活が横川を変えた。ノックを嵐のように浴びせ上から押し付けるかつての指導法は封印された。今はだめでも出来るようになる日が来る。それが自分を変えた15年だった。

伝統校を連破した室戸。かつての池田や中村を彷彿させる純粋な球児が日に日に自信をつけ成長していく姿は、横川にとっては障害者の姿とオーバーラップするのかもしれない。台風で有名な室戸、文字通り今大会の台風の目である。
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(如月壱拾日) VISTA  金融

ベトナム、インドネシア、南アフリカ、トルコ、そしてアルゼンチンはBRICsに続く有望とされる市場である。頭文字をとってVISTAと呼ぶらしい。特にベトナムは最近証券会社が投信で取り扱うようになり、注目を浴びているようだ。同国の代表的な株価指数(VN指数)は昨年145%も上昇し、今年もはや50%近く上がっており、1200ポイント近くになっている。構成銘柄107銘柄の時価総額は2005年末が4億ドルだったのが、いまや220億ドルというのだから恐るべしというほかない。まるでバブルの教科書に出てきそうな「サウス・チャイナ・シー・バブル」である。

現在世界の株式市場で割高とされるのはPERの高いインドと日本だろうが、それでも20倍である。しかし、ベトナムは70倍!市場が2000年に創設されて7年、開発初期の夢を追う期待が先行している典型的な相場である。しかも現に社会主義国であるから、上場企業はほとんどが国営企業の民営化ばかりである。財務諸表も危うい企業も多いともきく。確かに株式市場は夢を追い求める場所ということを否定はしないが、それだけでは鉄火場そのものである。己の資産を投資して良いかどうか、よく考えてみる必要がある。血が流れた後を虎視眈々と狙っている連中はごろごろしているはずだ。
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(如月九日) 無責任男  

植木等が亡くなった。敬称を略することさえおこがましいが、享年80歳だったという。ということは昭和20年には18歳だったわけだ。私の母と同じである。植木等は確かに高度成長期のサラリーマンの哀歓を代表したコメディアンであり役者だった。しかし、その出世作が『ニッポン無責任時代』であることなどにとらわれて、「無責任なサラリーマンを象徴した存在」と位置づけるのはどうかと思う。彼の実家は三重県のお寺であり、父親は戦前の部落解放運動の闘士であり、息子の等は「平等」の「等」という話もあるぐらいだ。

植木とその世代の人々、私の父も同世代だが、本当の意味でこの国の高度経済成長を支えた人々である。彼らは極めて真面目に働いていた。実際私は父が家でごろごろしている姿を見たことがない。決して無責任な連中ではなかったのだ。生真面目なだけにコメディーで僅かな幸せを感じていたのかもしれない。彼らは多感な少年時代を戦争という非日常のなかで過ごしている。そこでは前線の兵士に対してはともかく、国内に止まっている腐敗した軍部の横暴には辟易していたのではないだろうか。組織の腐敗は国を滅ぼすことを身をもって知っている年代だからこそ、逆説的な「無責任」ではなかったのではないか。
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(如月八日 上弦) 将来の日本  

能登半島の被災地の光景を様々なメディアで見ていて感じたのは、やがてこの国全体がそうなるであろう「人の少ない」「高齢化社会」ではないだろうか。倒壊した家屋が数多くあるのに、亡くなった方はお一人だけである。しかも灯篭の下敷きといういかにも不運な亡くなり方だった。倒壊した家屋の下敷きになってという犠牲者はゼロなのである。私の実家の四国でも同じような光景が見られるが、テレビに映し出される避難所の様子に息をのんだ人も多いのではないだろうか。圧倒的に老人が多い。これまで、あまたの災害で避難所の様子は紹介されてきたが、これほど高齢者が目立ったことはなかったはずだ。

困ったときはお互い様という互助精神は生きているようだが、助けられるほうも助けるほうも老人という事実を都会に住んでいる人間はどう感じただろうか。あれだけの地震である、余震は予想以上に多発する可能性が高い。かくいう私も阪神大震災の時には気が張っていた2,3日後に突然激しい頭痛に襲われた。この後余震の中でストレスとどう向かい合うか、高齢の方が多いだけに心配である。

マスコミは悲劇が大好きである。一人しか死者がいないという事実だけがこの後も続く報道の基になる可能性がある。死者の数でしか被害の大きさを知ろうとしない日本のマスコミの怠慢がここにもある。
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(如月七日) 報道のあり方  

日曜の朝にあれほどの地震が起これば誰もが恐怖に慄くだろう。当初津波のことばかり報道していた各局も昼ごろには被害状況が判明して、ヘリを飛ばしたりして現地からの中継に懸命だ。当初のM7.2から6.9に変更されたようだが、被災者には関係ない話である。新潟中越地震でもあったことだが、山間の縫うように作られた道路はこのような大地震に脆い。各地で道路が寸断され、孤立する集落が発生するのが、地方での地震の特徴である。ここは自治体が中心になって情報を集積し、被災者の状況把握に努めることが何よりの対策である。したがって、くそ忙しい現場の役所にのこのこ電話を掛けて、相も変らぬマニュアル通りの問いかけをしても、当事者には迷惑千万だけである。

ここ西宮でも発生から2分ぐらい遅れて横揺れが止まって、TVをつけたところ能登半島に津波注意報というテロップしか出ていない。そして震度6強という情報がもたされても相変わらず津波情報のみを繰り返す。おいおい、津波よりも家屋の倒壊のほうが可能性があることぐらい常識でわかりそうなものだ。実際津波は10pぐらいだったようだ。

インドネシアの津波で十万人規模が死者となり、また東南海・南海地震の予測から津波への対策が急がれているが、最近の津波報道はちょっとやりすぎではないか。同じような言葉が繰り返され、現場無視の報道を続けていると、狼少年になりはしないか。地震は津波だけではない。日本では建物倒壊による圧死が最大の死因であることは12年も前に実証されている。
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