(如月六日) ゲーテ  

夕食後うとうとして目が覚めれば11時過ぎ、TVはつけっぱなしでサッカーをつけていたのでTV朝日、関西では6CHの朝日放送である。土曜のこの時間はSmapの香取の「SmaSTATION」である。先週この番組でキムタクがゲストで来て何故か他局の「華麗なる一族」の最終回の番組宣伝、つまり番宣をやっていたのを思い出した。たまたまビデオにしてあったので再び見る。別にキムタクが気になったわけではなく、原作者の山崎豊子に関することでもう一度見たかったのである。

そのなかで山崎の録音メッセージが流された。

「スタジオのみなさん、木村拓哉さん、こちらは山崎豊子です。小説の『華麗なる一族』の主人公は銀行の頭取の万俵大介ですが、今回のテレビのドラマは鉄鋼マン・万俵鉄平が主人公です。この万俵鉄平の役作りに木村さんはいろいろなことがあったでしょうね。ドラマがスタートする時点では、少し正直なところハラハラしましたが、回が進むにつれ、見事に演じられるようになり、毎回、『鉄平よ、頑張れよ!』と声をかけるような思いで見るようになりました。私の大事にしている言葉に、ゲーテの言葉があります。『財貨を失うこと――それは、また働いて取り戻せばよい。名誉を失うこと――それは名誉を挽回すれば世の人々は見直してくれるだろう。勇気を失うこと――それは、この世に生まれてこなかったほうがよかったであろう』。私はこれまで、仕事で大きな山谷、絶壁にぶつかって後退しそうになったとき、いつもこの言葉を思い出し、乗り越えてきました。」

このなかのゲーテの言葉、正直感銘を受けました。「勇気を失うこと」ということがどういうことか改めて心に刻んだ次第です。

でもキムタクが出るなら他局の番宣でも何でもするという、テレ朝もどうかしてると思いますけどね。「勇気」をもってということではないでしょう。
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(如月五日) 地価公示  金融

昨日国土交通省から2007年1月1日現在の地価公示が発表され、公示価格が全国平均で前年に比べて0.4%上昇し、1991年以来、16年ぶりにプラスとなり、デフレ脱却の証となったようだ。そもそも公示価格とは、いろいろな土地取引のなかから特殊な事例を取り除いた自由な取引において通常成立すると考えられる1平方メートルあたりの価格である。さらに公示価格は建物の古さの違いや建築費用の違いを全く考慮しない更地の評価なのである。そして、本来は1地点について不動産の鑑定評価の専門家である「2人の不動産鑑定士」が各々別々に現地を調査し、最新の取引事例やその土地からの収益の見通しなどを分析して評価をおこなうとされている。しかし、現実には取引事例を基にのみ発表されている。取引事例は仲介手数料の嵩上げのため意図的に価格が吊り上げられる場合もあるが、おおむね不動産鑑定協会に事例価格が集められるので使い勝手がいいのである。

最近はビルの容積率の緩和が相次いでおり、都心部の再開発では高層ビルが林立している。これによって、従来よりも同面積の土地でも賃貸収入が多くなった。したがって少々地価が高くなっても買い手が現れるようになったのである。しかし、公示地価は現実の容積率を無視した取引事例を当てはめているので、昨年日本一だった丸ビルから、銀座の山野楽器にトップの座が代わってしまったのである。したがって参考にするには良いが、現実とはやや違和感を感じるのはこのせいなのである。
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(如月四日) 歓送迎会  

先日の異動で一年足らずで本社に行くことになったK君が今週で当地を離れることになり、急遽歓送迎会となった。近くの居酒屋を半ば借り切って7時過ぎから始める。和気藹々のなかで離任する二人に対して労いの言葉が掛けられ、プレゼントが渡されていった。管理職からトップに対しては、これ。ためいき3秒と名づけられたペンスタンドは、ゼロ精工という尼崎の会社が作っているものである。まあ、Nさんもよく支店のことで溜息をついていたので、ぴったりと私がチョイスしたものである。

しかし、最近酒に弱くなってこの会の途中経過をよく覚えていないのだ。精算とか帰りの電車とかは覚えているので、トラブルを起こすことはなかったが、家に帰ると初めて親父のへべれけぶりを見た次男が少々青くなっている。いかんなあ。
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(如月参日 春分の日) 柴田敬  金融

1985年岩波書店から刊行された都留重人の「現代経済学の群像」に海外の有名学者と並んで日本人の経済学者として、柴田敬と安井琢磨が紹介されている。柴田の研究はマルクス経済学の諸問題を近代経済学の創始者の一人であるワルラスの一般均衡分析を用いて解明することだった。この研究は輸入学問として発達した日本の経済学のなかで、加工再輸出とはいえ、輸出に初めて成功した例である。勿論、戦前1935年ごろの話である。

柴田は福岡に生まれ、福岡商業、山口高商を経て、京都帝大経済学部に入学した。河上肇のゼミの参加し、京大助教授時代にハーバードに留学。シュンペーターのゼミに加わった。当時はサミュエルソン、レオンチェフ、スイージー、そして都留重人とそうそうたるメンバーがいた。また帰途には当時英国に居た吉田茂の紹介で、あのケインズとも面談している。伊東光晴にして「日本人で唯一ケインズと議論らしい議論をした。」と云わしめているほどの逸材の柴田だが、その後は戦時体制のなかで翻弄されていった。そして戦後GHQにより公職追放を余儀なくされた。

追放解除後、母校の山口大学経済学部の教授、学部長を務めたが、戦後は「忘れられた大経済学者」とみなされた。その後は青山学院大学に転出し、経済学部長になり、1986年にその生涯を終えている。山口大学教授時代では、私が山大に在籍していた当時の学部長安部一成などを育てている。

先日山口大学経済学部のOB会である鳳陽会のHPをたまたま見る機会があり、この先人のことを思い出した。古典から学ぶことは多い。たまには動学的一般均衡理論や応用一般均衡分析などを読まなくてはいけないのだろうが、学部の先人ほど優秀でない私には苦痛以外の何者でもないだろう。
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(如月弐日) 大納言  

中納言は伊勢海老だが、大納言は?答えは茜丸。そう五色どら焼きの茜丸本舗である。社長は名物男で「北條勝彦」氏、髪を紫色に染め、TVCMでも本人が登場していたが、ちょっとバタ臭い演出で、いかにも大阪らしかった。と過去形になるのは最近見てへんなあと思ったら、あれま昨日民事再生を申請していた。負債総額は17億円あまり。年間売上が13億円あまりの中小企業には重かったか。

実は仕事でこの北條社長(本人は茜太郎と云っていますが)とお会いしたことがあり、TVCMソングのCDを買わへんかと云われたときは返事に窮してしまった。素顔はどこにでも居る大阪のおっちゃんで、ようやるわというのが第一印象だった。CMのおかげで名前は売れたが、あまり売れているところを見たことがなく、いつもKIOSKの片隅にあるのを覚えている。それに比べると姫路の「御座候」はいつも人が並んでおり、リピーターの大切さを示している。

多額の宣伝費と過剰な設備投資が今回の民事再生申請の理由らしいが、多くの小売業が陥る落とし穴に自ら入っていったようなもので、商品をいかに売るかという理念はなかったように見えた。しかし民事再生というのは便利なもので、経営者が首になるわけでもなく、借金棒引きといった優遇策がとられるわけだが、信用を失うだけに生半可に再生すると、周りの白い目にさらされる。やはり美味しくてリーズナブな商品を世の中に出さないと、また二の舞になるのではないか。
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(如月壱日 朔) 異動  

といっても私ではない。上司である。ここのところ、やや心ここにあらずという雰囲気が強く、単身赴任生活を終えるということでほっとしているというのが実のところだろう。まだ子供も小さいようだし、家族で過ごせるのはいいことだ。しかし、私の状態はまだまだ続いており、何とかせねばと少々焦っているのが本音である。

しかし、一人ではなく何と昨年入社した新人君も本社の商品部へ異動である。彼の希望かもしれないが、今年も大勢の新入社員が入ってくるので、ところてんのような人事異動という気がしてならない。大丈夫かなあ、電話注文で桁を間違えたりしたら大変だよと脅しておく、ははは。

しかし、代わりの上司は一回り下の若い人らしい。別に私は外資のときから自分より若い者が上司というのは多かったので、あまり気にしないが、向こうはどうかなあ。いよいよ御老公か、何か紋所でも作りますかな。
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(睦月廿九日 彼岸入り) 鈍感力  読書

渡辺淳一著 集英社

PLAYBOY日本版で連載されていた作家・渡辺淳一氏のコラムをまとめたものである。今年2月に発売されて小泉前首相が安倍首相に激励の意味で用いたことで、マスコミに取り上げられ早々と重刷されているようだ。渡辺先生も印税でウハウハでしょう。現にここに流行病のごとく購入した中年男が居るわけですから。ははは。

さて、鈍感力といわれると何か新鮮な感じがするが、要は「慌てる乞食は貰いが少ない」っていうと実も蓋もない。しかし、最近の過敏症ともいえる社会現象の裏返しということであれば、納得する人も多いだろう。医学博士である渡辺氏ならではの話が多いが、健康のためには血液さらさらで、いつでも寝られることといわれると、簡単なようで難しい。血液がさらさらになるには、あまりくよくよせず、他人にいやなことを言われてもすぐ忘れる、この良い意味での鈍さが血の流れをスムースに保つコツらしい。そういえば、だいたい年とって元気な人は、ほとんど他人の話は聞かないものです。(職業柄実感します。)

この本の中盤は先生得意の男と女の話。よく結婚の幸せを口にしたり、老後しみじみ「あなたと一緒でよかった」などというが、それは長い長い忍耐を経てきた結果のつぶやきである、といわれるとこれまた実感してしまう。私事で恐縮だが、2008年つまり来年には(このまま行けばですが)結婚25年目、つまり銀婚式なのである。よくここまでやってこられたというのが本音だし、お互い鈍感であったのが長く続いた秘訣といわれると、その通りで頷いてしまう。そんな当たり前のことが繰り返されるが、それを実際に作家が書くと売れるというのはエエですなあ。
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