(弥生壱拾四日 振替休日) 日経金融新聞  金融

ダイヤモンド誌によると、日経が日刊で発行している「日経金融新聞」が今年9月を目処に廃刊を検討しているらしい。1987年というバブル時代に発刊された金融新聞だが、2005年下期の販売部数は46300部ということで、日経MJの25万部、日経産業の18万部と比べると大きく見劣りしている。しかし、購入している人はご存知のように一ヶ月5036円。しかも平日のみ。といっても自分で支払っている人はほとんどいないだろうし、会社でちょっと読むぐらいが普通だろう。最近、駅売りは少なくなっており、金融新聞を置いているところは少ないというか皆無かもしれない。しかも駅売りは230円(だったかな)ということで、一ヶ月駅売りで買うほうがはるかに安いのである。

そんな日経金融を創刊以来20年読んできた私にとって、廃刊になるというのは感慨深い。初期の金融新聞では「金融フロンティア」というコラムがあって、当時の金融工学を紹介していた。なかなか理解できないのを悪戦苦闘して読んだことが昨日のようだ。しかしネット時代が当たり前になった1990年代央以降、紙面の半分近くを占めるデータはネットで意図も簡単に検索できるようになった。このデータを除くと、記事の少なさは目に余り、これに月5000円を自腹で払う人はほとんどいないだろう。

もともと7割近くが金融機関の購読だったとされているが、統廃合で金融機関の数も減り、正月の恒例企画「金融機関人気度ランキング」や春の「人気アナリストランキング」も色褪せてきた。かつてアナリストランキングでは事前運動が活発で、このランキングで年棒が決まるとされた外資系は接待攻勢が凄かったという話もよく聞いた。

バブル崩壊で日経は子会社のQUICKの上場も立ち消えになったし、この金融新聞もある意味バブル時代のあだ花というに相応しいものだ。日本経済を狂わせた日本経済新聞社の罪は大きいものがある。ライバルとなる経済紙がないことが日経の怠慢を許している。産経は中日新聞にも劣る部数なのだから勝負にならない。やはりネット時代に価値ある金融情報主体の台頭が必要なのである。
0

(弥生壱拾参日 昭和の日) 遠くになりにけり  社会

今年から4月29日が「昭和の日」になったことをどのくらいの人が実感しているだろうか。昨年まで「みどりの日」という何とも中途半端な名称から昭和天皇の誕生日という明確な事象を明らかにしたのはいいことと私は思う。私は特に右翼というわけではないが、左翼というあまりに無責任な体制には異を唱えるものである。しかし、昭和の特に戦後は左翼の時代とも云える。その過ちが日本の進路を危うくさせてきたのも事実ではないだろうか。

最近昭和天皇の側近の日記が日経新聞や朝日新聞によって公にされているが、そこまで明らかにする必要があるのかという素朴な疑問を持っている。確かに知りうる権利というのは存在するし、うやむやにする愚は避けなければならない。公人に個人情報がありえないだろうが、天皇というのはやはり敬意を表すべき存在である。したがって、朝日新聞や毎日新聞のように皇族に対して敬語を使用しないのは合点がいかない。販売促進のために高校野球を利用し、日の丸君が代を強要しながら、普段の紙面ではいかにもそれが国家的という矛盾を大新聞は説明できるのか。

イラクの現状を見ても占領政策というのは困難なものである。それを戦後の日本は奇跡的に乗り越え、世界第二位の経済にまで回復する過程で、現行天皇制の役割は大きかったのではないだろうか。昭和天皇のいわゆる「人間宣言」つまり「新日本建設に関する詔書」において、あの明治の「五箇条の御誓文」を冒頭にもってきている。昭和天皇にとって立憲君主制というのが念頭にあり、その思いが「五箇条の御誓文」につながったのかもしれない。

ただ、一般にはGWを構成する祝日として外せないのだから、名称には拘らないというのが本音ではないか。それをどうこう言うつもりもないが。
0

(弥生壱拾弐日) 京セラドーム  

オリックスバファローズ(バッファローズと違います)の本拠地である京セラドーム。大阪にあるのにという野暮な疑問はさておき、GWのナイター観戦としては混雑もせず、時間も3時間かからずという締まったゲームだった。

今年から神戸の大学に通う次男は大の野球好き。でも自分から球場に行くという積極さは持ち合わせていないので、今日は午前の授業が終わった後、誘ってみる。明日は神戸でのナイターなのでやっぱり交通の便利な大阪でということになった。

梅田大丸で夏物のスーツをオーダーしたあと、地下鉄を乗り継いでいざ京セラドーム。しかし、この球場は案内がお粗末。初めてきた者にはどこでチケットを買えばいいのか判りづらく、迷うこと2回。ようやく場内に入ると、内野自由席はそこそこ入っている。でも内野自由席といってもライトスタンドじゃないですか、こりゃ偽装チケットですな。でもやっぱり野球は青空というか夜空の下での天然芝に限ります。なにか箱庭でやっているようでちょっとねえ。

試合は最近好調のホークス松中の9回表の2ランできまり。やっぱり役者は違います。次男は折角一所懸命応援していたバファローズが破れ、がっかりしていたが、久しぶりに大声で応援してストレス解消になったようです。良かった良かった。
0

(弥生壱拾壱日) 地鶏や  

明日からGWということでボスは東京へ。何とか研修で1日がつぶれ、2日一日のためだけに関西の戻るのはということで、この日はお休み。ボスが休みで下の者がついてくるかということで、社員もこの二日間は交代でお休みということになった。ただ、新入社員は公休がないので残念ながら休めずということになった。

で、私はどうかというと、月末月初は報告事項が多くてお休みなし。どこか別の日に取ることにしよう。てなわけで今日は三連休の前日。仕事を終えればまわりははやお休みモードである。同僚で同じ西宮に住んでいるW君とちょっと一杯ということになったが、ネクタイをはずし縞模様のスーツは尼崎では危ないですよ、ということで途中の今津の焼き鳥屋へGo!

ここは薩摩の地鶏専門のようで、客もそこそこ入っている。隣の無国籍料理店は若い女性がほとんどで親父二人は場違いだったので、雰囲気はまあまあ。カウンターに通されてまずは生ビール。しかしこれではダイエットも出来るわけがありませんなあ。せせりの焙り焼きが結構うまかった。W君は手羽先が好物なのか、これをガツガツ。二人で「かのか」をキープして6000円。まあ、こんなものですかねえ。
0

(弥生壱拾日) 世界のヘッジファンド  金融

米調査会社ヘッジファンドリサーチ(HFR)の調べによると、世界のHFの資産規模が現時点で1兆5680億ドル、約185兆円に膨らんでいるとのこと。今年第1Qだけで600億ドルが流入したらしい。昨年1年間では1260億ドルの流入なので勢いがとまらないというのはこのことである。ちなみに昨年の運用実績が平均約12%である。

しかし、全てのヘッジファンドに優秀なプロがいるわけでもなく、無能でろくでもないファンドマネジャーの山ほどいる。したがって、今後良い成績を残すであろうファンドを見分けることは良い銘柄を見分けること以上に難しいことである。しかし、こんなヘッジファンドラッシュで大儲けしている会社の株を買っていたらどうなっていたか。

ヘッジファンドを販売している会社に「マン・グループ」という会社がある。この会社は上場しているが、どこぞの会社の調査部の人間はヘッジファンドの上場第一号とは認めていないのだから、あんぐりするばかりで、こちらが反撃したら返事もない腐った野郎がいるだけだ。で、この会社の株価は10年間右肩上がりで18倍になっているのである。これで思い出すのが、アメリカのゴールドラッシュのときに一番儲かったのは誰かということである。それは金鉱夫ではなく、彼らがはいていたジーンズのリーバイスである。破れないジーンズということでリーバイスは業界で不動の地位を占めるようになったのである。

このような会社は調べてみれば伸びる業界で人知れず稼いでいる会社があるはずである。調べてみる価値はあるのではないか。
0

(弥生九日) 給料日  

当社の給料日は15日なのだが、世間では25日が圧倒的に多いだろう。社会人になった我が愚息も初めての給料を貰ったようだ。だが、悲しいかな新興会社というか中小企業のため、15日締めの25日払いということで、今月は半月分しかないらしい。卒業までにアルバイトで貯めたお金もあるようだが、何かにつけ物入りの4月だけに、やりくりが大変らしい。見かねた愚妻がアパート代として仕送りしたらしいが、親父は「無駄遣いするなよ」と天に唾を吐く如く己の悪行を忘れているらしい。

私の初給料は何に使ったのだろうか。確か手取りが8万円ぐらいでがっかりした思いがある。何せ大学4年時はアルバイトに明け暮れ、手取りで15万円位は常にあったので、社会人って何なんだ?と。しかし、無駄遣いばかりしていたなあ、ははは。

いずれにしても慣れない一人暮らしで土地勘のない東京で仕事に慣れるのも大変だろう。でもみんなそうして仕事を覚えていったはずだ。あいつもスポーツで磨いたガッツだけはあるから大丈夫だろう。しかし母親は息子には優しいなあ。
0

(弥生八日 上弦) 死体  

現在通勤は阪神西宮まで徒歩約25分尼崎まで10分間というルートである。今朝も今にも降り立ちそうな空模様の中、いそいそと出掛けた。バス通りを渡って近道をしようとしたら、目の前が血の海に。そして悲惨な猫の死体が転がっていた。道の真ん中で撥ねられて引きずられたのだろうか。朝から嫌なものを見てしまった。ニュースを見ていたら、能勢の山の中で側溝にビニール袋の中に全裸の1歳8ヶ月あまりの子供の遺体があったという。まるでゴミのように捨て去った犯人は鬼畜そのものである。いやな事件が多いのにはうんざりだ。猫の人間を同一する気持ちはさらさらないが、店の前で轢き殺された猫の死体がシャッターを開ければ目の前に飛び込んでくるのだから、たまったものではない。

夜、少しブルーな気分で帰宅していたら朝の猫のことを思い出した。しかし、午後から振り出した雨ですっかり血も流されて何事もなかったようになっており、きれいに死骸も片付けられていた。そして誰彼となくその地を踏んでいく。何も知らなければ怖いものはない。でも現場を知っているものはその悲惨さを覚えている。そういえば、あの尼崎のJRの事故は明日で2年目を向かえる。
0




AutoPage最新お知らせ