(如月壱拾四日) 教訓  経済

1962年10月、関西の若手経営者が社長学を学ぶために集まった。その会は「井植歳男社長を囲む会」通称「井植学校」のはじまりである。メンバーは森下仁丹の森下泰、サントリーの佐治敬三、ダイキン工業の山田稔、大和ハウスの石橋信夫、ダイエーの中内功などそうそうたる経営者たちである。

井植学校で歳男は「三つの切る」ことの大事さを教えた。
・ 古いものに対して思い切る。
・ 新しいことへ踏み切る。
・ 合理的に割り切る。

しかし歳男の長男、井植敏が社長になってからの三洋電機は「なにわのGE」とちやほやされて、多角化への道をまっしぐらに進んでいった。デフレ経済下では時代の流れに乗れず、一時的にデジカメで世界シェア40%を占め、回復かと思われたが、専業メーカーの攻勢で今や足を引っ張る存在に成り下がってしまった。そして今回の孫の敏雅の社長辞任である。

そもそも井植学校は二世経営者が勉強する場所でもあった。そこでは同じ同族経営でありながらも、サントリーやダイキンのようにその後業績を残したのに、先生の子供や孫がアホというのは皮肉以外の何者でもない。

井植歳男はこうも云っている。「困難に遭わない人生というのはありえない。もしあるとすれば、それは怠けている証拠である。」
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