(弥生廿六日) ふるさと納税  社会

「ふるさと納税」が論議になっている。私は広島県江田島市に住民票があるので、住民税は広島県と江田島市に納めている。まあ、微々たるものなので特にどうこう言うまでもない。しかし、高額納税者となれば話は別である。以前にスポーツ選手で、イチローや宮里藍などが生まれた故郷に住民票を移して、恩返しという新聞記事やニュースを見たことがある。

私が転職のため豊中から西宮に転入してきたのは1988年である。それから2004年まで私の住民票は西宮にあり、住民税はここ西宮に納めてきた。幼い子供たちも幼稚園、小学校、中学校と西宮で育ち、愚息たちは一番愛着のある土地だろう。まあ、娘は気に入らない土地なので、これが我が家の大問題なのである。ははは。

しかし、私自身は西宮に住んでおり、この自治体の恩恵を受けているのだから、もし「ふるさと納税」制度が出来たなら、幾ばくかはここ西宮に納めたいと思う。でも現実論として分割納税が可能になれば、問題が多いのも事実である。まず変更できる単位は「県」なのか、「市町村」なのか。たとえば「市」であれば、あの夕張に納税して、単なる金を振りかざした人気投票になる恐れは十分ある。なにしろ実際にすぐ金になる話なのだから、自治体は血眼になって納税誘導を図るに違いない。たとえば、夕張には納税したい人が殺到するだろう。残念ながら今の衆愚社会では、ふるさと納税制度は金を振りかざした単なる人気投票になる可能性が高い。

したがって、そろそろ「住民税」という考え方そのものを根本から見直した方がいいのではないだろうか。行政の受益をどこで受けているかといえば、昔のように人々が一ヶ所に留まって、そこで一生を終えていくような時代は過ぎた。地方分権は結構だが、人の流れは合併して分けのわからない名前をつけるような自治体の行政区分の境界を越えて動いている。

「ふるさと納税」が提案されたのを機会に、根本的に税制そのものを見直すべきではないか。たまたま夕張に住んでいたために、公共サービスが受けられなくなるというのは、どう考えてもおかしい。もちろん、そんな野放図な経営をした市長や議会を選んだという責任はあるにせよ、今や経済活動というものは、自治体の境界は関係なく動いているものなのだから、県境市境を一本踏み越えれば、生活のレベルが変わっているというのは、不自然な図である。
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