(如月廿四日) ねんきん特別便  金融

他人の話とばかりと思っていた年金問題だが、先日送られてきた。内容は山一證券時代から間違いがなかったのは、厚生年金だったせいかもしれない。山一を辞めたときに一ヶ月だけ国民年金を納めているのだが、これは記録になかった。やはり国民年金の管理は結構ルーズだったのだろう。

しかし、ほんの10年前までは現役が一ヶ月13000円の保険料を納め、退役者は月に67000円を貰っていたのだから、少子化が進めば破綻することぐらい小学生にも分かりそうなものだった。今だから騒いでいるが、当時からこの問題を指摘していた人はどれだけいたのだろうか。

しかし、年金もそうであるが日本の生命保険も歪である。そもそも生保に貯蓄性を付加するのは間違いのもとで、掛け捨てがいいのがよく分かるのは、企業でよくしているグループ保険というものである。死亡者が少なくなれば受け取りは多くなる。この単純な統計が貯蓄構造を内製化すると、核心がぼやけてくるのである。保険は生保も損保も掛け捨てで充分なのである。
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(如月廿参日 下弦) ガソリン価格  経済

ねじれ国会の副産物であるガソリンや軽油の暫定税率が廃止されようとしている。当然明後日からは25円ほど安くなるわけだから、この時期に満タンにする奴はアホかもしれないが、広島から高速で帰ってきてから初めて西宮で給油することになった。1300CCのトヨタイストは燃費がいいので、そこそこ走ってもすぐガソリンがなくなるわけではない。江田島でも月3回ぐらいの給油で13000円ぐらいだったから、今回はどのくらいだろうか。ただ、4月からは娘を作業所に送り迎えしなくてはならないので、少々はかかるだろうが。

さすがに二日前とあって、スタンドに車の数は少ない。うちの車の横はベンツだから、値段など気にしない人に違いない。こうして考えてみると、この4月からガソリンと違って、値上げラッシュの食品は低所得者層を直撃することになる。高くなるといっても食べるものを半分にすることは出来ないし、給料が5割も上がるはずもない。この食品インフレ、結構経済に与える影響は大きいのではないだろうか。
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(如月廿弐日) ダイエーの凋落  経済

家族の買い物でダイエー甲子園店に行った。今はイオン傘下となったダイエーだが、バブル時代のダイエーの旗艦店としてその名を馳せた。創業者が店を訪れた際には、大名行列の如く店員がその後に続いていたのを思い出す。春夏の高校野球や阪神のホームタウンである甲子園球場の目の前にしているだけに、圧倒的な地の利があった。

しかし、今日訪れた店には過去の栄光は全くなかった。休日の駐車場は溢れかえっていたのに、屋上駐車場は閉鎖されるほどであまりの差に驚くばかりである。当然店内も人は少なく店員のほうが目立つぐらいで、活気がないの一言に尽きる。この間規模の小さい西宮店に行ったのだが、それよりもひどかった。

イオン傘下ということでトップバリューの製品も多く、ダイエーオリジナルのセービングはどこにあるのか分からない。ダイエーの名前を残している理由が分からなく、店の中も中途半端では今の消費者は集まってこない。さらに阪神パーク跡地に進出した「ららぽーと甲子園」はイトーヨーカ堂を中核としたショッピングモールが集客力を発揮している。

店内の家電専門店「ベスト電器」も中途半端な店造りでぱっとしない。流行っているのは立ち読みが目立つ書店だけというのではあまりにも情けない。日本の小売の不振の象徴のようである。
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(如月廿壱日) ヘキサゴン  社会

26日に放送された「クイズ!ヘキサゴン!!」を見ていて、珍回答タレントコンビの「つるの剛士」と「上地雄輔」が並んでいて、あまりに似ているので大笑い。もちろんその珍回答もだが、結構そっくりさんなんだよな、この二人。もちろん、つるのは歌が無茶苦茶上手いし、上地はあの松坂のボールを受けていた横浜高校の捕手であることはいうまでもない。でも相変わらずの回答ぶりには呆れる以前の問題である。

「2003年の流行語にもなった養老孟司の著者は××の×」の×を埋めよという問題で、つるの剛士は「養老の滝」と答え、上地雄輔は「冷奴(ひややっこ)」を「冷たい奴」と読み、「御曹司(おんぞうし)」が読めずに悔しがり、正しい読み方を聞いたあとで「御曹司って何ですか」と司会の島田紳助に尋ねていた。

日本のクイズ番組は完全にバラエティ化しているが、外国人が見れば驚かざるを得ないだろう。世界標準では「クイズ」は教養番組なのだから。たぶんこうしたバラエティを進めたのはフジテレビだろう。しかし、想像もつかない珍回答が求められた挙句の果てに、この二人のような「おばかタレント」が量産され、使い捨てされていくのだろうが、どうなんだかねえ。
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(如月廿日) 布施  社会

日産の村山工場跡地を購入したことで知られる宗教法人の真如苑が運慶作といわれる大日如来像を三越に依頼してオークションで落札したことがこのほど明らかにされた。さすがに資金力のある新興宗教のなせる業でもある。そんなことを耳にしながら、今月の文藝春秋を読んでいたら興味ある記事を目にした。梅原猛氏はこう書いている。

《私は、布施、すなわち贈与は、人と人との間の基本的な関係であると考え、その種類によって職業を分別した。つまり漁業、農業、工業ばかりか商業に携わる人間は財施すなわち物の贈与、学者や教育者などは法施すなわち知識の贈与、芸術家や役者やスポーツ選手などは無畏施(むいせ)すなわち人の不安を除き、人を楽しませる贈与を行う職業であると論じた。それではいったい政治家はどのような布施を行っているのであろうか。洋の東西を問わず、施政者の理想は民の生活を安定させることである。先の布施の定義に従えば、施政者は財施によって民に富ませ、法施によって秩序を与え、無畏施によって民の不安をなくすのがその使命であると考えられてきたのである。》

「布施」が財施と法施と無畏施の3種の施しを意味するというのは仏教的には常識である。

《私は長い間、仏教を研究してきたが、この布施というものにいまひとつ親近感をもつことができなかった。ふつう布施は物を与えることと解釈される。》

一般的に布施については物を与えると理解されており、梅原氏もそのようだったようだが、この布施に対して少し立ち入って考察を加えている。今回の仏像購入は逆の意味でどういう布施なのだろうか。
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(如月壱拾九日) チベットその後  政治

中国政府がチベット関連ニュースに対して、国際世論を気にしてか、やや緩和したように見えるがこれは何も変わっていない。そもそも中国政府が「受身的に」対応しているのではない。「警察側は銃を発砲していない」などと言い張っていたことからしても、またチベットにおけるデモは毎年3月10日前後に行なわれてきたことからしても、むしろ中国政府が挑発したのであり、チベットの活動家を炙り出したと見るべきである。

しかし、他国は他民族を弾圧あるいは虐殺したことが無いのかと問われると、誰も何もいえないのが世界の現実である。事態が大規模化すると、一方的な弾圧というより「紛争」や「内紛」とされてしまい、10万人を殺した対イラク戦争も「大虐殺」ではなく、「米兵の犠牲者がついに4,000人を突破」(日米のマスコミ各社の報道)となってしまうのである。

なぜ中国はチベットや同じく批判を浴びているスーダンのダルフールを弾圧しているのか。それは国際的非難より経済的メリットのほうが上回ると認識しているからである。このような理屈は1990年代半ばぐらいまでは間違いとされていなかったし、1945年までは正義とされていた。弱くて資源のある地域を押さえることはそういうことだったはずである。

したがって今回のチベットの解決は、中国政府が「このままでは国益に沿わない」と自ら判断できるように仕向けるしかないのである。世界には今なお多くの弾圧や虐殺があり、他民族や異教徒による差別と暴力がある。中国以外にもあるということで、チベット問題を軽視するつもりは全く無いが、それを辞めさせるだけの正義を持っている国家はどこにもない。

基本的には、自らの問題に自分たちが立ち上がることと、周囲の力を借りながら為政者に「それを続けるのは得策ではない」と思わせることしか圧政に対する解決策はない。ただ、日本人としても先進国と云われ続けるためには、我々自身が自分たちの問題として立ち向かい、そして怒りを忘れないことが必要である。

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(如月壱拾八日) ウォシュレット  プライベート

先日上新電機へ行って、二台目のウォシュレットを購入。実は先日の引越では前の住居で使っていたウォシュレットをそのままにしておいたのである。なぜなら今度の家は一階にも二階にもトイレがあるのだ。

今日午後愚妻立会いで二つのウォシュレットが鎮座した。これでようやくあの快感?が得られるわけである。多少切れ痔傾向のある私には、涙が出るほど嬉しいものである。ははは。

しかし、最近のウォシュレットは進化しており、センサーの固まりでもある。省エネといいながら涙ぐましい技術者の研究の賜物であり、本当に頭が下がります。それに先代に比べれば、3分の一ぐらいの価格でもある。日本のハイテクというか技術は大したものであると再認識した一日だった。
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