(皐月六日) 秋葉原通り魔殺人事件  社会

何とも悲惨な事件でその場に居合わせた人の恐怖を考えれば、他人事ではないが、この事件もほとんどの人にはグラデーションのように、自分との距離が離れるに従って、悲しみも薄れていくものである。たとえ100人が虐殺されることよりも人間は自分の爪がはがれたほうが痛いし辛い。これは悲しいかな人間の性である。地球上で繰り返される無数の理不尽な死に対して、自分の大事な人が死んだときと同じ悲しみは感じられないのである。

もちろん突然人生を壊されてしまった被害者やその遺族に何の責任もない。100%犯人が悪い。これを朝日新聞の加藤編集委員のように加害者の生い立ちや環境に原因があるような言い方をすれば、被害者は唖然とするしかない。これも痛みのわからない人間の典型なのである。人権を旗振りにする朝日新聞の狂気はほどほどにしたほうがいい。

しかし、自分があの場にいれば何ができたかとう質問に対して、私は答えを持たない。日垣隆氏が言うように、人間関係の距離の違いで対応が違うのは当たり前であり、「俺なら、黙っちゃいない」と憤る人も少なくないが、そこにいないのに一方的に非難するのは傲慢で卑怯そのものだ。そこにいる人が動けなければ、自分も動けなかっただろうと思うのが普通である。手出しをして、もっと事態を悪くすることさえある。自分の力が到底及ばないと知りつつ、それでも自分は何ができるのかと必死に考える。大事な人を命がけで守るというのはそういうことではないだろうか。
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