(神無月六日 文化の日) 時価会計の凍結  金融

全世界を覆う金融危機を封じこめようと、大胆な処方箋がいくつも提示されたが、あっといわせたのが米国の時価会計への豹変だろう。満期まで保有するのであれば時価評価しなくてもいい、という論理は思考停止でもある。簿価と時価との差額が常に「含み損」「含み益」になるから、時価会計のほうが実態を反映して企業財務の健全性に資するとされてきたのではないか。

ところが、サブプライム関連証券化商品の市場が消滅したことで、米国が心変わりした。難産の末に成立した金融安定化法には、SECに凍結権限を与える条項が盛り込まれ、投げ売りの価格を正常取引とは認めないなど基準緩和の指針を打ち出した。欧州でも、国際会計基準を採用する欧州金融機関が米国勢に比べて不利にならないよう、国際会計基準審議会が、いったん「売買目的」とした投資有価証券でも満期保有の証券に分類を変更、時価を決算に反映しなくても済むようにした。

確かに未曾有の金融危機ではあるが、こうも簡単に大原則を反故にする米欧のご都合主義にはあきれるばかりだ。日本がバブル崩壊後の「失われた10年」に時価会計導入の遅れをいやというほど指摘されたことは記憶に新しい。それがいざ我が身に累が及ぶと、あっさり原則を覆す。時価会計とは所詮政治的判断であるということか。

でもあれだけ時価会計で苦労してスタンダードになった時価会計に対し、日本の経営者は、それみたことか、と一斉に時価会計の骨抜きに走りだした。先月には中川昭一・財務・金融担当相は金融機関トップと会談、その場で横浜銀行の小川是頭取らから時価会計停止を要望され、金融庁に保有区分の見直しなど基準変更の検討を指示している。うかうかと国際会計基準を採用すれば海外から買収の魔手が伸びてくると、経団連あたりはこれまで嫌ってきた。

だが、これはあくまでも「買われる側」の論理。買われたくないから、本当の姿を見せたくない。しかしサブプライムで傷の浅い日本は今後、叩き売りされる米欧企業を「買う側」に回る。ここは逆手をとって、米欧に時価会計を迫らないと、とんだ高値掴みをさせられる。現に三菱UFJのモルガン・スタンレーへの出資も時価会計でなければ全く意味が無いはずだ。長銀がいくらで買収されたか、もう忘れたのだろうか。

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