(神無月壱拾壱日) 編集者の死  社会

筑紫哲也が亡くなった。昨年肺がんであることを告白し、闘病生活に入っていたが、癌には勝てず鬼籍の人となった。産経新聞によると、<昭和10年生まれ。早稲田大学を卒業後、朝日新聞社に入社。新聞記者として政治部や本土返還前の沖縄特派員、米国ワシントン特派員などを歴任。同社記者として昭和52年から約5年間、テレビ朝日系の報道番組「日曜夕刊!こちらデスク」の司会者を務め“異色の新聞記者”として話題を集めた。また、朝日新聞が発行していた週刊誌「朝日ジャーナル」で昭和59年から約3年間、編集長を務めた。編集長時代に手掛けた連載企画「若者たちの神々」「新人類の旗手たち」などでは、さまざまなジャンルの一線で活躍する若者を取り上げ、「新人類」という言葉を生み出した。平成元年に朝日新聞社を退職。当時、高い視聴率を得ていたテレビ朝日系の報道番組「ニュースステーション」に対抗してTBS系で同年から始まった報道番組「NEWS23」のメーンキャスターに抜擢された。>とある。

マスコミは彼をジャーナリストと持て囃すが、私には少し疑問に思う。ジャーナリストであれば強烈な個性のある著書を残しているわけでなく、いわば組織を使ってきた人ではなかったか。特に周りの人にとっては彼はとても使いやすい人間だったのかもしれない。そういう意味では時代の寵児ではなかったか。特にオウム真理教でのTBSの関与に関して、「TBSは死んだ」とまで断言したのにその後のこのこと再登場する姿勢には疑問が残ってしまう。

彼の経歴を見てみると「組織の人」であったと同時にやはり「編集者」だったのではないかと思う。もちろん新聞記者として自ら書いていた時期もあったのだが、その名が出てきたのは「朝日ジャーナル」であり、そして「NEWS23」のアンカーマンとしてであった。いずれも上手に取材者をつかい、まとめていく仕事である。メディアの中にいる自称ジャーナリストにとっては、巨星落つということなのだろうが、違和感ありませんか。
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