(師走廿九日) 晴れ舞台  プライベート

元部下が京都で結婚式を挙げるので、朝7時過ぎの新幹線に乗る。昨日の飲み会の酒はあることですっかり醒めていた。まあ、人に嘘をつく奴にはついていけないということさ。多摩川を過ぎたあたりから意識がなくなる。しばらくしてカシャカシャという耳障りな音で目が覚める。何事かとあたりを眺めると、右手の景色に釘付けになった。快晴の空に大パノラマのその姿はあまりに神々しい。本当に言葉に表せない美しさである。

しかし、景気後退は新幹線の乗車率にすっかり現れている。あれだけ名古屋での乗降が多かったのに、今やその人数をすぐに数えられるぐらいである。トヨタをはじめとする東海地区の経済の落ち込みの酷さを物語っている。名古屋を過ぎ関が原にかかると、先ほどまでの快晴がどこへやら、一面の銀世界である。いわば墨の世界である。2時間あまりの間に世界が変わっている。

さて、京都北山のウエディングハウスでの式は、熱いカップルで小雪が舞う寒さを吹き飛ばしているようだった。新郎新婦の友達が多く参加した披露宴で、本当にいい式であり、宴だった。まあ、仏滅でゆっくりしていたというのもあるだろうが、ははは。
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(師走廿八日) 文字の数奇  読書

Levi’s(リーバイス)のジーンズの創業者として知られるリーバイ・ストラウス。本社はLevi Strauss & Co.であり、日本法人もリーバイ・ストラウスジャパンである。このアルファベット表記で大変なことを発見したのである。

フランスの構造主義人類学者であるレヴィ・ストロースをご存じの方はいるだろうか。この表記が、Levi Strauss、まったく同じ表記なのである。カリフォルニアに出張したレヴィ・ストロースがレストランで名乗った際、お店の人に「ジーンズの? それとも本を書くほう?」と尋ねられたというエピソードが残っているそうだが、このレストランの人も学者のLevi Straussを知っていることも凄いと思うのだが(まあ、普通のレストランではないでしょうが)。

私もつい最近まで二人が同一表記だということを知らずにいたが、たまたま「週刊読書人」2009年1月16日号の1面を見ていてさらに驚いたのは、本を書くLevi Straussのほうがまだバリバリ元気で、昨年11月28日に100歳の誕生日を迎えたという事実なのである。

今日は名前で驚かされた一日であった。
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(師走廿七日) オバマ演説  政治

シカゴでの勝利宣言に比べると、現実的で地味ではないかと個人的には思ったが、マスコミを見ると多くの人がLIVEで見ていたようだし、感銘を受けたようだ。変化から責任へという巧みさも垣間見える。さらに優秀なコピーライターによって、国民の団結を訴えていた。

<私たちのために、彼らはわずかな財産を荷物にまとめ、新しい生活を求めて海を越えた。私たちのために、彼らは汗を流して懸命に働き、西部を開拓した。むち打ちに耐え、硬い土を耕した。>

<むち打ちに耐え>という一句がさりげなく挿入されているが、これは明らかに開拓地で使役されていた奴隷たちのことであり、黒人たちにとっては涙する部分である。そしてそれは、自らが「奴隷の子孫」ではないオバマさんにとっては、重要な語句であり、これを入れたファブローの狡猾と呼んでもいい巧みさには驚くほかはない。

演説の最後に引用された部分についても同様である。
<さあ、この日を胸に刻もう。私たちが何者で、どれだけ遠く旅をしてきたかを。建国の年、最も寒い季節に、凍てついた川の岸辺で消えそうなたき火をしながら、愛国者の小さな集団が身を寄せ合っていた。首都は放棄された。敵が進軍していた。雪は血で染まっていた。独立革命の行く末が最も疑問視されていたとき、建国の父は広く人々に次の言葉が読み聞かされるよう命じた。「将来の世界に語らせよう。厳寒のなか、希望と美徳だけしか生き残れないとき、共通の危機にさらされて米全土が立ち上がったと」>

ここは逆に白人のインテリたちにとっての泣かせどころである。これは独立戦争の「バレーフォージでの越冬」のことである。1777年、イギリス軍にフィラデルフィアから追い落とされたジョージ・ワシントン率いる独立軍はペンシルバニア州のこの谷で、厳しい冬を過ごしている。衣服も食料も弾薬も欠乏し、寒さの中で兵士たちは倒れていった。

オバマは今のアメリカの状態をその時にたとえているのである。そして結びの部分につなげているのである。

<アメリカよ。共通の危機に直面したこの苦難の冬の中で、時代を超えたこの言葉を思い出そう。希望と美徳をもって、いてついた流れに再び立ち向かい、どんな嵐が来ようと耐えよう。私たちの子供たちのまた子供たちに、私たちは試練のときに、この旅が終わってしまうことを許さなかった、と語られるようにしよう。私たちは後戻りも、たじろぎもしなかったと語られるようにしよう。そして、地平線と神の恵みをしっかり見据えて、自由という偉大な贈り物を受け継ぎ、未来の世代にそれを確実に引き継いだ、と語られるようにしよう。>

軍隊でも国家でも兵士でも国民でも、危機にあたって指導者がもっとも投げかけるべきは、団結と正義への渇望だ。そのことをオバマはよくわかっているのだ。
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(師走廿六日) ポンド危機  金融

英ポンドが14年ぶりに対円で最安値をつけている。14年前というと米ドルが79円台をつけた超円高時以来である。原因は相も変わらず金融危機の余波である。既に危機に陥っていて、英国政府が株式の57%を保有するロイヤル・バンク・オブ・スコットランド(RBS)が280億ポンドもの損失を出しそうだとの話が出て、その解決策に市場がおろおろしているからである。英国史上最大の4兆円近い損失が一気に出てくるのだから、混乱もさもありなんと思う。中央銀行のイングランド銀行が、RBSの全ての不良債権を保証、証券買取を約束しているので、不安なのはRBSではなく英国政府そのものと、英ポンドになったのである。しかし、この金額昨年までの為替水準だと6兆円いじょうであり、米シティも真っ青な数字である。

英国に限らず、欧州銀行全体で証券化商品を米国の銀行の6倍も保有しているのだから、そして、その時価は半値八掛け2割引とも言われるのだから、欧州の銀行から巨額の不良債権償却損がでてくるのは自明のことである。ではなぜ今騒がれるのか。

1つは、昨年9月のリーマンショック以来、世界の金融危機の連鎖を止める為に、巨大銀行を潰さないという欧米政府のコンセンサスが出来たために、安心して不良債権を帳簿に載せることが可能になったこと。RBSもBOEの保証があるから出してきたということ。

1つは、2008年9月までは2007年夏以降のサブプライム危機に端を発した証券化商品の時価暴落による損失だけだったのが、リーマンショック以降の世界中の景気悪化により、新たな危機を迎える企業が多くなり、これらの追加損失が今は積み上がっている真っ最中だということ。

つまり、今のうちに膿を出し尽くさないと危ないと言う危機感の現われが今回のRBSの巨額の損失なのである。他行もほとんど状況は変わらないはずであり、この問題を見る限りでも今回の金融危機の根の深さを表しているのである。

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(師走廿五日 大寒) 詐欺  社会

以前阪神タイガースに在籍していた投手に湯舟という変った苗字の人がいた。もちろん今も解説者なのだが、その卒業した大学が奈良産業大学である。この大学はマイナーなリーグであるが、近畿学生野球で通算27回も優勝しており、関西ではそれなりに知られている。その野球部の前監督(まあ、この不祥事が見つかったので辞めたということでしょう)が経営する整骨院が、実際に施術をしていない部員に治療したように見せかけて、医師の診療報酬にあたる療養費を不正に受け取っておいたのである。

この不正行為はかなり前からおこなわれており、胡散臭いと思われる整骨院の実態が明らかにされようとしている。これは普通の医院であれば、保険以外の費用のみを納めるのだが、整骨院は一旦全額を納めて、それから申請するという方法なので、治療する側が「代わってやってあげましょう」ということになるケースが多いのである。そこでこの方法を悪用する輩が出てくるというわけである。

こういった柔整という分野の権益は森元総理大臣の得意分野らしいが、まあ権力者のお頭の程度と同じというわけでしょうか。

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(師走廿四日) 生活保護世帯  社会

今日の日経によると。生活保護世帯が増加しており、114.7万世帯になっているという。日本全体の世帯数は5232万世帯なので、46世帯に1件が生活保護を受けていることになる。厚生労働省の予算では、この生活保護に2兆585億円が計上されており、国の負担割合は75%なので、1世帯あたり239万円となる。え?多いじゃん、俺にもくれよと言う人も多いだろうが、実際の給付は生活扶助で約80万円、そのほか約30万円の住宅扶助という内容である。

生活保護を受け取る人の動機の約半分は病気になった時であり、最近は受給者の多くは高齢者である。つまり生活保護問題も高齢者化であり、医療費の問題なのである。年金だけでは医療費も払えないし、ひいては光熱費も払えなくなるという悲惨な状況が、日本のあちこちで見られるようになったのである。

特に医療費は命に関わってくるのだから、世の中本当に金次第になりつつある。

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(師走廿参日 下弦) 誰もいわない定額給付金の謎  政治

世間を騒がせている定額給付金、もらえればそれは嬉しいものだが、人間としてと、どこか不義に加担しているような気分がするというと頷く人も多いのではないか。世論調査というものは結論だけを求めるものである。「給付金はいらない」という日本人が8割なのだが、わざわざ政府がくれるカネをなぜ貰いたくないのかという丁寧な心の襞には世論調査は入っていかない。学生バイトや派遣の方々が、電話をかけているのだから仕方がないのである。本当は何千万円もらっているマスコミの評者が、正月から浮浪者と一緒に野宿しているヒマがあるなら、受話器を持てばいいと思う。

なぜ定額交付金が欲しくないか。カネはカネであって、ひとつの世帯に6万円ほど来るなら、助かるには違いない。日本国の歴史で、お上がカネをくれるというのに「いやいや、いりません」などと下々が言っている奇観はおそらく初めてだろう。これはある政党の提案から始まったものである。批判を覚悟に言えば、『TVタックル』などの番組で、松あきらというあの宝塚あがりの綺麗な方が、給付金の話になると気が狂ったように柳眉を逆立でている。「気が狂った」などとテレビでは絶対に言えない表現だが、ははは。

考えてみれば、中小企業の社長など、明日の手形がやっと落ちるかどうかと今日も奔走している中から、税金はちゃんと納めている。そのカネが、回り回って給付金になり、それがおそらくはそのまま創価学会に財務と称して吸い込まれていく光景を想像しないだろうか。北朝鮮と同じで、あそこは今年世襲でカネがいるのである。そのいかがわしさをみんな感じているから、定額給付金は要らないと言っているのではないか。
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